おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

幻のタピオカを求めて

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この世で生活していると、「ノッていないとき」というのがある。

楽あれば苦あり。私は基本的に毎日楽しく暮らしているが、365日エブリデイハッピー!というわけには当然いかない。「あーもうダメだー」って日だってあるのだ。人間だもの。

 

つい最近の数日間がまさにそれだった。

仕事では、正直自分の知識や力量ではどうにもならない案件が発生。上司や先輩に助けを求めるも、社会人というのはそう甘くなく、ヒントをもらうところまでしかたどり着けない。締め切りと相手方とのやり取りに追われ、なんとか自分にできる範囲のことをやったものの本当にこれで正しく対処できているか分からず、後々大問題が発生するのではないかと怯える日々。

またここ数日間、なぜだかずっと疲れが取れず、眠気や倦怠感をやり過ごしながら働いて、仕事が終わって家に帰ってもすでに気力がないので最低限のことだけ済ませて布団に入る、の繰り返し。

まだ二十数年しか生きてはいないが、どうやら人間として生きていると、こういう何もかもうまくいかない時期が定期的に訪れるらしい。

 

こんなグダグダでグズグズな時期でも、毎日電車に揺られて職場に向かう。

向かうはいいが、身体的にも精神的にも「バリバリ働くぜ!」という感じではないので集中力もそんなには続かない。そうすると、色々なことを考え始める。

もう働き始めて2年目なのに、去年の今頃から私は何も成長していないんではないか、とか、一緒に入社した同期の中で私は一番劣っているのではないか、とか、私はこのまま社会でやっていけるんだろうか、とか、そういったことが延々と頭の中を回り始める。

ぐるぐる、ぐるぐる。曇った思索は続く。

しかし、この終わりのないネガティブ思考のメリーゴーランドが後に何も生まないことは、これまでの二十数年の人生経験から分かっているので、なんとか頭の中で停止ボタンを押す。

 

よくない。これはよくないぞ。

何か楽しいことを考えよう。

私は、その日の仕事が終わった後にすることを考えることにした。ノッてない自分のご機嫌を取るための方法を考える。なお、この間勤務中である。仕方ない。自分のコンディションを良い方向に持っていくのも社会人の務めだ。

 

しかしまあ、アフター5の上手い過ごし方が浮かばない。

人と話すにも、その日いきなり呼び出せるような関係の友人は私には残念ながらいないし、恋人を呼び出すのも何となく気分が乗らない。一人で飲みに行く勇気もない。ジムで汗を流すにも、運動するための体力は今はない。一人カラオケに行くことも考えたが、喉風邪が治ったばかりで熱唱する元気もない。

これだけ考えても何もしたいことが思いつかない。仕方ない、今日も早く帰ってさっさと寝るか…。そう思ったところに突如ある考えが浮かび上がった。

 

「そうだ。タピオカドリンクを飲もう」

 

なぜここに思い至ったのか、正直よくわからない。タピオカドリンクは確かに好きだけど、最近流行ってるし、なんか楽しそうだから休みの日にちょっと並んで飲んでみるという程度だ。

それでも急にこの考えに思い至ってから、私の脳内はタピオカドリンクで満たされた。

甘いミルクティーの中で氷と共に沈む、黒く輝く宝石…。

こんな表現は大げさだが、この時の荒んだ私にとって、タピオカドリンクは逃避への扉。この世の美と快楽を詰め込んだものと言っても過言ではなかった。いや、さすがに過言か。

 

そんなこんなでタピオカへの憧憬を胸になんとか仕事に取り組み、ついに定時にたどり着いた。終業ミーティングを終えて、弾かれたように自席から立ち上がり職場を後にする。

歩いて繁華街へ向かう。普段なら面倒で退屈でしかない徒歩での移動時間も、「タピオカ」という目標があるだけでいきいきとしたひと時となる。ベースのドリンクは素直にミルクティーにするか、それとも変化球でストレートティーやジュースにするか。心なしか、歩いている間もいつもより信号に引っ掛かりづらい気がする。運が向いてきたんじゃないか、私?

 

歩くこと15分、私は念願のタピオカドリンク店に到着した。

店の前で、私は呆然と立ち尽くした。そこにあったのは長い行列だった。

 

昨今のタピオカブームを私は舐めていた。舐め腐っていた。

最近のタピオカの流行りようはすごい。土日なんか、店によっては3時間待ちという表示が出ていたりする。そもそも言うなればただの飲食店が「ただいま〇時間待ち」という表示の看板やカードを準備していること自体、タピオカブームがいかに白熱しているかを物語っているのだ。

私の考えは甘かった。流行っていいるとはいえ、平日の夜であれば並ぶことはないだろうと思っていた。

が、そこにあるのは推定4、50人の行列。土日に他の誰かと遊びに来てこれに並ぶというのなら、余裕な長さだろう。しかし、日々の仕事に疲れ切った、しかも一人でここにきて話し相手もいない私には、この行列に並ぶ元気があるはずなかった。

私はとぼとぼと店の前から離れた。

 

その後、簡単に諦めてたまるかと近辺にある別の2店舗も回ったが、その努力は無駄に終わった。

他店舗も状況は始めに訪ねた店と同じ。大人数の行列ができていた。

涙をのんで、私は帰路につくことにした。

最後の抵抗に、大好きな本でも買って帰ろうと書店に寄った。雑誌コーナーの『ダ・ヴィンチ』の表紙に並ぶたくさんの作家の名前の中に、好きな作家がいた。

まるで、仕事に疲れたあげくタピオカへの憧憬さえ打ち砕かれた私を慰めるように、私の愛する作家はそこに佇んでいた。ああ、本の世界はいつだって私を受け止めてくれる。私の生活がいかに本に支えられているかを実感した瞬間だった。

 

先日妹に「部屋の中で雑誌がかさばって邪魔だ」と叱られてから、極力雑誌は買わないようにしようと決めていたが、こればっかりはしょうがない。本は私の生きる糧なのだ。

 

帰宅途中にコンビニに寄って、腹いせの様にパスタとスナック菓子とから揚げ棒を買った。

家に着いたらハイボールを作り、ドラマを見ながら食べて飲む。

何となく選んだアラビアータはあまり美味しくなかった。

酸っぱいんだか辛いんだか分からないその味は、まるでこの社会で生きる世知辛さを映しているようで、コンビニパスタにそんな壮大なイメージを抱いた自分がなんだかおかしかった。

 

さあ、明日も頑張ってみるか。

 

日記:春が来ましたね。

 

 

開設から1年ちょっとが経過したこのブログ、未だに書く記事の方針が定まっておりません!まあ一定の型がないというのは形にこだわらない無限の可能性があると、スーパーポジティブ解釈でやっていきたいなと思っております。

 

というわけで今日は個人ブログらしくノーマルな日記を書こうかな~。

 

今日は彼とお出かけしてきました!

昨日の夜彼の家でトマト鍋しながら赤ワイン飲んでそのまま泊まって、街へ繰り出す。

 

お昼はずっと食べてみたかった刀削麺のお店へ。

小麦粉の生地の塊を刀でシュッシュッ!と削り飛ばして細い麺にするというワイルドの極みな料理。今まで食べたことなかったので一回食べてみたかったんだ~。

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じゃん。

私が食べたのは担々刀削麺。よく行く中華料理屋さんの担々麺が胡麻の風味中心で全然辛くないので勝手にそのイメージで食べてたら結構辛くて暑くなりました。代謝アップだ!

彼は麻辣刀削麺を注文してたので一口もらったんですけど、麻辣よりこっちの担々麺のほうが辛くてびっくりしてしまった!

肝心の麺は、さすが刀で削ってるだけあって太いところと細いところが色々あって、触感としても飽きなくて、なんだかおもしろかったです。どっちかというとうどんに近かったかも。そして結構量があって一人では食べきれなかったので残りは彼に食べてもらいました。最近本当に量を食べられなくなった…。

 

 

食後はお散歩がてら矢場町にあるフラリエでお花を見たり。もうすっかり春ですねえ。

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最近本当に暖かくなりましたよね。快適にお散歩できるようになった反面、にっくき花粉のやつらがそこら中にうようよしてるジレンマね。毎年この時期はこのジレンマと格闘することになるんだろうな(笑)

 

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あと噴水に日が当たって虹が出てました。見えるかな?

暖かくて過ごしやすくて花も咲いてて、春ってのは本当にいい季節ですよねえ。ストレスなく外で過ごせる季節が好きなので、できることなら一年中春か秋がいいなあ~。

 

 

ところで最近、彼がポケモンGOを始めました。私はもともとやってたんだけど、二人そろってやるようになったことでデートの要素の一部にポケモンが組み込まれることとなったわけです。

というわけでそのまま久屋大通公園に歩いて行ってレイドバトル!(レイドバトルというのは、その場に集まった人みんなで大きめのポケモンと戦って、勝ったらそのポケモンのゲットチャレンジに参加できるという激アツイベントのことです。)

もうアプリのリリースから結構経ってるのに、公園にはポケモン目当ての人だかりが。傍から見たら異様な光景だよなあ(笑)

今日からディアルガがレイドバトルの登場ってことだったので場所を変えて2回チャレンジして、両方バトルには勝ったんだけど、二人して結局捕まえられなかった…。次回に期待。

 

 

その後はサンシャイン栄のレストラン街にあるカフェへ。

カフェ&パンケーキ gram サンシャインサカエ店

食べログ カフェ&パンケーキ gram サンシャインサカエ店

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クラシックパンケーキ!

前に行ったときはフルーツの乗ったやつを食べたんだけど、今日はシンプルに。カモミールティーと一緒にいただきました。ゆ、優雅~!!

ここの窓際の席に座って、サンシャイン栄の観覧車を間近で見ながらパンケーキを食べるのが大好きな時間なんです:)

しかしやっぱり歳を重ねるごとに消化機能は衰えていくらしく、クリームとバターは3分の1くらい食べたらもう食べられなくなってしまった…。悲しいねえ。

だがしかしクリームもバターもなくても十分美味しい!今度はご飯系のパンケーキも食べてみたいなあ。卵とかソーセージとか乗ってるやつ。

 

そんな感じで夕方に解散。

彼は今年就活なので忙しくてなかなか会えなくなりそうだけど、無理なく頑張ってくれればと思います。

 

 

昨日の金曜日有休とってたからまだ丸一日休みが残ってるのが嬉しいな~!

皆様もよい休日を☺

 

 

近況報告。

 

皆様お久しぶりです~魚住です!

今日は有休をもらって家でのんびりしています。

前回の更新から結構な日が空いているので、今日は簡単な近況報告でもしたいなあと思います。とは言っても最近あった出来事とかを思いつくままに書いていくだけなんですが(笑)

 

仕事が落ち着いてきた

昨年の終盤、特に10月あたりからうちの職場は繁忙期に入りまして、そりゃあもう大変だったんですよ!11月は月の残業時間130時間越え、一番きついときは2週間毎日ずっと終電なくなった時間にタクシー帰り、3週連続土日のどちらかも出勤、という感じ。やっぱりあまりに忙しすぎるとだめですね、精神的にも身体的にもやられます。毎日眠くて頭がぼーっとしてたり、仕事行く前の朝に仕事に行きたくなさ過ぎて本気で泣いてしまったりと今思えばあの時は色々と狂ってたなあと思う。もうあの2,3か月には戻りたくない。って言っても今年も来年もあの時期はきっとああなるんだけどさ(笑)

 

それがですよ!ここ最近になってやっと仕事が落ち着いてきました!いや~定時で帰れるって素晴らしいですね~。最近は日が長くなってきたのもあって、一昨日なんて仕事終わってビルの外に出たらまだ明るかったもんね。あんな清々しい帰り道、いつぶりかしら。

 

あとね、私仕事のタスクをひとつひとつ小さめの付箋に書いて手帳に貼っておいて、タスクをこなしたら付箋をはがすっていう管理の仕方をしてるんです。提出物とか、いついつまでにこの書類作る、とかね。

先週ぐらいまでは仕事終わらせて付箋はがしても、はがしたのと同じまたはそれより多い仕事が入ってきて手帳が付箋でみのむし状態で、一回上司にそれ見られて「めっちゃ付箋!」って笑われたんですけど。最近新しいタスクがあまり入ってこなくなって、付箋が閑散としてきた。みのむしが寒々しくなってきました。逆に今なんて急にやることなくなっちゃって戸惑ってるからね!こうなるとやることなさすぎてむしろ手持無沙汰だから、なんか仕事ほしいななんて思っちゃったりして。人間っていうのはないものねだりする生き物ですね。(しみじみ)

 

筋トレを始めた

ジムに行ったり、家で筋トレしたり、1か月前くらいから実はこつこつ筋トレしてます。社会人になって3キロぐらい増えて身体も少したるんできたので、絞っていきたいと思いまして。今までは食べる量を減らすダイエットばかりしてたんだけど、食事制限や糖質制限だけのダイエットはリバウンドしやすいし、痩せにくく太りやすい身体になってしまうと思うので、ある程度しっかり食べて、鍛えて筋肉をつけて、太りにくい身体を作る方向にシフトしていこうと思っています!健康的でしょ?

 

ジムに行くときはだいたい仕事帰り。今週は行けてないんだけど、その前の2,3週間は週2,3回ペースでジムに行って、マシンでトレーニングした後にクロストレーナーやウォーキングマシンで有酸素運動もして、結構しっかり運動してます。

ジムに行けないときは家で筋トレしてますよ~。スクワットは毎日欠かさずやってます!余裕のある時はYouTubeで見つけたノーカット筋トレ動画を流しながら一緒に筋トレしたり。YouTubeで筋トレもできるとは、便利な時代ですね。

 

とりあえずは体脂肪率を朝測定して20%が目標!今は22~24%くらいで推移してるからもうちょっと頑張ります。

 

髪を切った

胸まであったロングヘアを、肩上くらいまでバッサリ切っちゃいました!

軽い!シャンプーとドライヤーが楽!縮毛矯正もかけなおしたから広がらない!最高!

 

本当は5センチくらい切るのにとどめるつもりだったんだけど、いざ美容院行って鏡の前に座らされて、「どれくらいの長さになさいますか?」って聞かれたら、なぜか「もういいや!」ってなって「肩まで切っちゃってください!」って言ってた。もったいないことしたかなって思ったけど、自分としては結構今の髪形に合ってるんじゃないかと思うので結果オーライです。

土曜日に髪切って次の週明けに職場行ったら、私の髪形見た職場の人に「…どうした?」って言われました。どうもこうもないんだなあこれが。

 

ディズニーに行ける!

3月の半ばに家族でディズニー行くのが決まったんです~!楽しみ~!

35周年イベント私一回も行けてなくて、行きたかったハロウィンも仕事が忙しくて行けなかったし、このまま終わるのかと思ってたんだけど、フィナーレのタイミングで行けることになりました!

しかも妹と双子コーデしていくことにもなって、今は二人で作戦会議中です。ランドでは妹がミスバニー、私がとんすけのコーデ、シーでは妹がデイジー、私がドナルドのコーデで行くことになりそうです。バウンドやったことないからめちゃくちゃ楽しみ。アラサー手前だけど夢の国ではそんなこと気にしなーい。

 

それから、彼とも4月か5月のイースターの時期に行くことになったんです!彼と行くのは実に4,5年ぶり。イースターのイベントにちゃんと行くのも初めてなのでこちらも非常に楽しみです!

 

 

 

 

 

以上、近況報告でした~!

今日から3月、花粉に負けず元気に過ごしていきましょう(*'▽')

「食べる」っていいよねって話

 食べることは生きることとはよく言ったもので、ものを食べることなしには人は生きていけないのであります。将来的には人間の生命活動に必要な栄養素を一粒で全部摂取できるようなサプリのようなものが開発されて、私たちは今のような食事をする必要はなくなるというような話もたまに聞いたりしますけど、どうなんですかね。


 ということで、「食べる」ということについてつらつらと書いてみようかなと。
 

 さっきのパーフェクトなサプリの話ですけど、実際にそんなサプリが開発されたとしても、人類皆がそういうものに頼って今のような食生活と決別する日は来ないだろうと私は思います。(というか、現在でも既に栄養パーフェクト食品、いわゆる「完全食」が開発・販売されているみたい。ちょっと調べたところによると、アメリカの会社が販売している「ソイレント」という粉末を水で溶かして飲む飲みものや、「BASE PASTA」という麺類スタイルの完全食とか。BASE PASTAはちょっと美味しそう。)
 だって、食べるのって楽しいから。私の周りで考えても、大多数の人は美味しいものを食べることを楽しいこと、嬉しいことと捉えている人は圧倒的に多いと思う。もちろん、食べることに対して魅力を感じない人だっている。食べることを面倒に感じる人や、栄養を摂ることができれば何だっていいと思っている人だって少なくはないと思う。でも、少なくとも私は食べることに喜びを感じる人間なのです。
 旅行に行ったら一番楽しみなのはその土地のご当地グルメや地のものを使った料理をいただくことだし、温泉や銭湯に行ってお風呂につかった後のアイスは最高だし、仕事の昼休みに売店カップの春雨スープを買うときはどの味にしようかさんざん悩むし、パスタやオムライスが美味しいカフェを見つけると嬉しい。人と会って食事をするためにお店の予約をするときも、HOT PEPPERグルメのアプリで各店のメニューを調べまくってどの店により美味しそうな、目新しい料理があるかを吟味しまくってからお店を決める。グルメサイトやアプリに関しては私はHOT PEPPER派です。ぐるなびも王道でいいんだけど、やっぱり庶民だからクーポンの魅力には抗えない。


 とか言いつつ、私には定期的に食に対する興味が急に消え失せる時期があります。美味しいものを食べたいという気持ちを抱かなくなって、「生命をつなぐために最低限の栄養が摂れればそれでいいや」って思う時期が1週間ぐらい続き、それが終わると元通り。いつものように食べることが好きな自分が戻ってくる。こういうのを2か月に一度くらいのペースで繰り返してます。
 何が原因でこういうことが起こるんだろうと考えてみたんですけど、おそらくというかやはりというか、自分の精神状態と食欲とは密接に関係しているらしい。そうやって食欲が消えうせるのは決まって何か個人的な悩み事を抱えているときだったりする。年末年始あたりにブログにもちょっと体調が悪いと書いていて、あの時も食欲ゼロだったんですけど、やっぱりあれも将来について悩んでいたのが原因だったんだろうと思います。ぐるぐると考え続けていたのを、最近になって「まあ気楽に考えとくか」と思えるようになって脱することができました。同時に食欲も復活して、昨日は金曜日だったからコンビニに寄ってビールとから揚げ棒とお煎餅買って帰ったよね。亀田製菓の「技のこだ割り」というお煎餅は魚住的猛プッシュライスクラッカーなのでぜひ買ってみてください。めちゃくちゃ醤油の味が濃くてめちゃくちゃ硬くて、原始的なザ・お煎餅が好きな人にはたまらんと思います。あと味が濃いのでお酒に合う。歯が弱い人は気を付けてね、下手したら折れる。

 

亀田製菓 技のこだ割り 120g×6袋

亀田製菓 技のこだ割り 120g×6袋

 

 

 私の推しせんべいの話は置いといて。
 こういう食欲ゼロ期が定期的に来るのには個人的にもう一つ原因として思い当たることがあってですね。多分普通だったら、悩みがあって食欲がない時でも「食べなきゃ元気出ないしとりあえず何でもいいから食べなくちゃ」ってなると思うんです。でも、そこを私は「食欲ないけど食べなきゃ痩せられるし食べなくていいや」ってなってしまう。
 多分こう思ってしまうようになったのは、過去のダイエット経験が原因だと思う。以前、自分でも「少し太ったかな?」と思っていて、人にも「顔丸くなった?」って言われた時がありました。それを受けて、私はダイエットを始めたわけです。夕食を抜いて、炭水化物も極力我慢して、毎日スクワット、夜になったら家の外に出てランニング。結果として3,4か月で3キロ痩せました。顔が少し小さくなって、ウエストがぴったりだったスカートが少し緩くなって、嬉しかった。人に「痩せたね」と言われたことも嬉しかった。以前とは違う自分になったような気がしました。

 


 でも、その代わりに私は呪いにかかってしましました。それは、食べることを悪とみなし、太ることを異様に恐れてしまう呪い。ダイエットに成功してからの私は、少し細くなった体型を維持することに必死になりました。ダイエットのために抜いていた夕食を、それからも抜き続け、外食のときややむを得ず夕食を摂らなければならないときはカロリミットを手放せなくなりました。外食をするときは、少しでもカロリーが低そうなものを無意識に探すようになりました。すべての原因はダイエットに成功した時の快感を忘れられなくなってしまったことにあると思います。何も考えずに食べたいものを食べるということができなくなってしまった。これをダイエットの呪いと呼ばずに何と呼ぶのだろう。

 


 最近、本来ダイエットをする必要のない人がダイエットをして健康を損なっているパターンが多いように思うんです。私は美容やコスメが好きなのでTwitterの美容専用のアカウント、いわゆる美容アカを漁ったりするんですが、アップしてる本人の写真を見た感じ、明らかに太っていない人が一生懸命糖質制限してたり過度に食事の量を減らしていたりする。もちろん健康に問題ない程度で食生活を見直したりお菓子や甘いものを控えたり、運動をしたりするダイエットならとても良いことだと思うんです。でも身体に悪いダイエットは絶対に良くない。
 テレビや雑誌の影響で、アイドルやモデルのような体型が一般的な「美」みたいになってしまっていて、芸能人ではない一般人までもがそのような体系をゴールに据えてしまっている。たしかにテレビや雑誌に出ているような可愛い女の子を見ると私もああなりたいと思うし、彼女たちのような華奢な体系を目指してしまう。でも、皆がああなるのは不可能だし、体に負担がかかる方法でダイエットをしてまでなる必要はないと思う。「女性は見た目に気を遣うべき」「美しくあるべき」みたいなイメージがまだまだ世の中で共有されてしまっているのも、無理なダイエットをする人が多い状況に拍車をかけてますよね。現状、女性の容姿をジャッジする世間の目が男性に対するそれよりも厳しいことは状況としてあると思うし、そもそも美しさというものの現在の基準も狭すぎる気もする。目が大きくて、肌が白くて、まつげが長くて、毛がなくて、細い身体というのだけが美しさではないんじゃないかと思うんです。色々な顔、色々なスタイル、色々なファッションの人がいていいじゃないか。
 私も上に書いた通り以前ダイエットをしたんだけど、今になって考えるとあの頃のダイエットを始める前の私は太ってはいなかったと思う。健康的な体型だったように思います。かと言って、3キロ痩せた自分が今は嫌いかというとそうでもなくて。どんな体型だって毎日元気でご飯が美味しけりゃいいじゃないか。なんならまたちょっと体重増えたしね。健康体重の範囲内なので全く問題なしです。
 何が言いたいかというと、結局無理なダイエットはするもんじゃないってことです。ダイエットの呪いから未だ抜けきれてない私が言うのもなんですけど。それに現時点で健康に害を及ぼすような肥満の人は食事制限や運動はするべきだと思うけど。(それも身体に負担のかからない範囲で、ですが。)
 それから、ひとつ謝りたいことが。以前私はこのブログに、ダイエット方法についての記事をアップしました。内容としては、ざっくり言うと夕食を抜くというものでした。もちろんあの時も健康に問題のない範囲で、という風に注意書きはしたつもりでしたが、今考えれば夕食を抜くというのはそもそもあまり健康に良くないと思います。一日三食しっかり食べないと日々を生き抜く元気が出ない。大した影響力のない個人のブログとはいえ、ああいった身体によくないことを推奨するようなことをネット上で公開してしまいました。該当記事は削除しました。あの記事の影響で心身に悪影響を受けてしまった方がもしいたとすれば、本当に申し訳ないです。


 最初の食の話からだいぶ逸れたので戻します。
 そんなこんなで私は食べることが好き。美味しいものを美味しいと思えるのって当たり前のようだけど幸せなことだよね。毎朝起きて仕事に行くのはつらいけど、お昼休みや家に帰ってから何を食べようかと考えることで頑張れたりする。家族や恋人や友人と会話をするときもそこに美味しいご飯やお菓子があればその場にもっと彩りが咲く気もする。私は昔の思い出をその時食べたものとセットで記憶していたりします。あの時あれを食べたよなあってとこから記憶がどんどんつながって、誰と会ったとかあの時どう思ったかとかを思い出す。そういうことが多い。
 今日は家族で久しぶりに回転寿司に行きました。寿司ネタ何が一番好きですか?私はビントロ。エビもいいよね。頭のついたままのやつはなんだかリッチな感じがしてなおいいね。
 誰にも聞かれていない好きな食べ物の話をすると、最近はピザが大好きです。よく行くショッピングモールのフードコートにあるピザ屋さんのピザが、具がたくさん乗ってて絶品でしかも大きいのに安くて最高。最近食べてないなあ食べたいなあ。あとディズニーランドで食べるピザね。あれ何であんな美味しいんだろうね。ファンタジーランドのキャプテンフックスギャレーのシーフードピザ愛してる。まだ売ってるのかなあれ。次ディズニーランドに行ったときには是非ご賞味あれ。
 「おいしい」を「美味しい」って書くのもなんかいいよね。美しい味ですよ。食は芸術なり!って感じでセンスを感じる。この言葉にこの漢字をあてた人は絶対に美食家だったんだろうと思う。


 職場の人が前に「どうせ食べるのなら美味しいものを食べたいじゃない?」って言ってたんですけど、その通りだと思う。人間の生命活動とは切っても切れない食。せっかくだからちょっとこだわって思いっきり楽しみたいと思う今日この頃。
 でも、夜中にお菓子やコンビニスイーツはよろしくないですね。肌にも胃にも悪い。20代前半にして早くも消化機能の衰えを感じ始めているので、気を付けます。はい。

 
 

大人になった白鳥たちへ

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 5年前、高校3年生の頃、私たち5人は音楽室の黒板の前にセッティングしたアンプに挟まれてマイクを握り、音を奏でていた。「私たち5人」というのは、高校の頃に所属していたアカペラの部活の同学年のメンバーである。アカペラ、楽器を使わずに声や口を使って出す音だけで音楽を奏でること、いわゆる「ハモネプ」でやっているようなアレである。最近ハモネプ見ないなあ。
 私たち5人の引退前最後のライブ、後輩部員たちは交えずに最高学年の私たちだけで1曲演奏をした。皆で息を潜めて曲が始まる前の静寂を作り出し、入りの合図のボイスパーカッションに耳を澄ませて呼吸を合わせ、丁寧に丁寧に、唇で、舌で、声帯で、一音目を奏でる。そこから先は流れるような曲の展開に身を任せつつ、自分なりに噛み砕いた歌詞の意味をイメージしながら言葉を紡ぎ、鳴り響く和音の響きに酔いながらもテンポやピッチを乱さぬよう周囲の音を聴きながら自らの声を緻密に操っていく。ハモリのタイミングでは相手と目を合わせて微笑み合い、曲が一番盛り上がるパートではそれぞれが無意識に心を通わせ合う。複数人が声だけで一つの曲を奏でるとき、当人たちはこれだけのことを曲の間にこなしていく。繊細で、極端に言えば面倒でもあるこの作業に、高校生だった私たちは共に熱中した。進学校ゆえの大量の課題やテストや受験のプレッシャーに疲れきっていても、それでも放課後には狭い音楽準備室に集まってもはや惰性で発声練習に取り組んだものだった。
 先輩の代の演奏のレベルにどうしても追いつけない、自分たちの代の部の運営方針と下の代の意思が噛み合わず後輩から不満が出るなど、部活動をやるうえでの様々なジレンマと闘いながら駆け抜けた引退までの2年半の葛藤と、その間同時に味わった歌うことの喜びや音楽の楽しさが数分間に凝縮されたような、良い意味で青臭い最高の演奏だったと、
社会人になった今でも我ながら思う。

 そんな「最高のラストライブ」を作り上げた私たちは、昨年末に久々に再会を果たした。再会とはいっても私たちは高校を卒業して以来、年に1~2回のペースで集まっているため、いつも通り飲み会をしたというだけの話なのだが。
 あの頃、一つの曲を奏でるという共通の目標に向かって空き教室で日々練習を重ねていた私たちは今、5人がそれぞれ全く別の方向を向いて歩いている。かつて高校の同学年だった私たちは今では社会人、大学院生、大学生の入り混じったグループになった。これだけ色々な立場の人間が定期的に集まって話をするというのは、学生時代の仲間同士ならではだと思う。
 飲み会での会話は9か月ぶりの再会ということもあり互いの近況報告から始まり、仕事の愚痴や将来への焦り、恋愛事情等いかにも20代前半の若者らしい会話が繰り広げられていた。その中で強く思ったのは、みんなうまくいっているように見えてどこかで葛藤を抱えているということだった。
 幼い頃からの憧れの職業に就いた友人も人間関係や多忙さゆえの体力面での不安を抱えていたり、数年前の大学時代から付き合い始めた恋人と今も順調に交際を続けているのであろう友人も、相手との細かいところの考え方の違いにどう対処しようか悩んでいたりする。私自身について考えても、多分周りから見れば無事大学を卒業しそこそこ良い仕事に就いて恋人ともそこそこうまくいっていて、順風満帆そのもので悩みなんてほとんどないように見えるんだろう。でも実際は私も、今の仕事をこのまま続けていけるのだろうか、自分が本当にやりたいことは何なのか、結婚や出産など将来についてはどう考えていこうか、そういった悩みが常に頭の中をぐるぐる回り続けている。最近の軽い身体の不調もその辺を考えすぎているストレスから来ているような気がする。
 そんな感じで、「好きなことで生きていく」を体現しているように見えるあの子も、Instagramで「私、最高に幸せです!」って聞こえてくるような投稿を連投しているあの子も、私の知らないところでめちゃくちゃ悩んでたり、現状の生活を続けていくことに不安を感じていたり、将来について考えすぎて眠れなくなったり食欲がなくなったりしているんだろうと思う。みんな水面下でバタ足する白鳥なんだと思う。そういう白鳥たちが、目一杯悩んで目一杯考えながら歩を進めていくのがこの社会だ。
 友人たち皆が現状や将来に悩みに悩みまくっている話を聞くと、「なんて生きづらい世の中なことよ!」と思ってしまう。特に、社会の構造上「あれとこれをしたい」となった時にどちらかを諦める選択をしなければならないケースが多いように思う。家庭生活と仕事、趣味と仕事、何に関してもそうであるが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」が美徳のようになってしまっている感じがする。やりたいことを全部やり切りたい人にもっと協力的な風潮があってもいいんじゃないかと思う。
 でも、下を向いてばかりだった私とは違い、前を向けるようになった今の私は現状に嘆くばかりではない。「皆が色々ともがいているのだから私ももっともがいてみよう」と思えるようになった。皆がこうしているのだから私もこうしないと、という強迫観念的な考え方は人に無理を強いるものにもなりうるので危険でもあるのだけれど、「あーしんどいな」って感じたときに別の場所で同じようにしんどさと戦っている仲間がいると思えるのは何となく心強い。

 食事を終え解散した後、私のスマホで自撮りした5人の写真をグループLINEに上げた。写真の中の若者たちは、誰もが高校生の頃と変わらない笑顔を浮かべていた。
 あの頃音楽室に響き渡ったハーモニーは、きっと今でも私たちの胸の中で共鳴し続けている。

あけおめ2019

 明けましておめでとうございます。2019年になりました。
 このブログをお読みいただいている皆様は新年をいかがお過ごしでしょうか。私は、正月にかこつけてお寿司やチキンやしゃぶしゃぶやケーキやらの贅沢品をいただいたり、正月にかこつけて夜中まで起きて昼まで寝たり、正月にかこつけて近所のショッピングモールで散財したりしているところでございます。元旦から着物を身にまとって人混みの中初詣でに出かけたり、寒い中初日の出を見に山に登ったりする柄でもない。近所の小さな神社に家族で足を運んでお参りし、町内会の人にスルメとお神酒と祝箸をもらいたき火を囲んで帰りました。THIS IS田舎者のお正月の過ごし方ですよ。
 今夜も家族で家で食事しました。食卓に並ぶは寿司40貫盛がひとつ、24貫盛がふたつ、惣菜のオードブルがひとつ。正月だしパーッと、と言って回転寿司のチェーン店で寿司盛を注文し、予約した時間に受け取りに行った帰りに飲み物を買いに近所のスーパーに行ったら5,000円の寿司盛が1,000円に、1,980円のオードブルが500円になってたんです。その結果我が家の食卓には母、父、私の3人という少人数に見合わない大ボリュームのメニューが並ぶことになったわけです。田舎のスーパー恐ろしや。

 

 さて、新年ということで一年の始まりにふさわしいような記事を書きたいところでありますが、こういうタイミングには新年の抱負を書き綴るのが定石でございます。例に倣って私も今年の抱負でも記しておこうかなと思います。
 まだ去年の振り返りもできていないので、2018年の反省も踏まえてまとめておきたいですね。世に言う「書き初め」というのは一般に書道のことを言いますが、文章の「書き初め」で新しい一年の幕開けにしたいと思います。

 

 まず、去年の反省。一番大きいのが、初めての社会人生活に身体的に疲れすぎてしまったということ。
 去年の4月から新卒社員として働き始めて9か月が経つわけですが、本当に体力が落ちました。急に身体の衰えを感じるようになった。もうね、基本的にずーっとだるい。貧血だと思うんですけど、社会人になって以上に疲れやすくなりました。
 原因は多分睡眠不足だってことはわかってるんですけどね。社会人になって、学生の時に比べて朝起きる時間が早くなりました。7時過ぎに家を出るので6時起き。(最近は寒さで起きられなくなってだいたい6時半起きですが…。)寝る時間は深夜1時くらいで前とあまり変わらないから結局約5時間睡眠。もともとロングスリーパーの私にはなかなかきつい。寝る時間を早くすればいいって話なんですけどなかなか、ね。残業して帰ってくると家に着くのがもう夜の9時10時ですよ。そこからお風呂に入って、それから読書したりネットサーフィンしたりとなるともう深夜。読書やネットの時間を削ればいいんだろうけど、趣味に費やす時間がないと仕事を頑張れないタチなのが難しいところ。
 結果として仕事中、特に昼過ぎには異常な眠気に襲われ、インスタントコーヒーに頼りカフェインを摂りまくって対抗。建物の3階にある職場に向かうために階段を上るだけで息切れ。慢性的な軽い立ち眩み。(先日は仕事中にコーヒーを飲もうと電気ポットの熱湯をマグカップに注ぎ、自席に戻ろうと歩きだしたところ立ち眩みが起こり熱々のコーヒーをぶちまけそうになった。)外食の際に麺類や丼ものを注文すれば半分で食べるのに疲れ残す。将来について話をしていたら深刻な会話の内容に感情が高ぶったせいもあって軽い過呼吸を起こす、等々散々な状況。
 何とかしなければとは思うもののなかなか対策がとれていません。おそらく貧血が原因だと思われるので先日鉄分のサプリを購入したものの、その数日後に友人から、無暗にサプリメントを飲んでいると実際は足りているはずの栄養分を過剰に摂取してしまっている、ということが起こりやすく、その場合余分な栄養を消化するために肝臓に負担がかかってしまうということを聞いてサプリは一粒飲んだまま放置。どうすりゃいいのさ。いやまあ病院行けって話なんだろうけど。
 あと寝ればいいんだな、寝れば。しかしそこそこに残業が多い部署に配属されてしまったのと家から職場までが遠く通勤に時間がかかるのが痛いところである。こうなれば読書やネットサーフィンはなるべく通勤の間や休日に回して平日は早く寝るようにするしかない。身体のためと思ってなんとか生活をシフトしよう。

 

 それからもう一つ反省点がある。あれだけやりたいやりたいと大口叩いていた物書きが全然できなかったことだ。これも言い訳をするとすれば、仕事が忙しくて文章を書くのに時間を割けなかったことが原因ではある。一日働いて残業もこなして疲れて帰るとどうしてもエネルギーを要することをこれ以上行うことを避けるようになる。本を読んだりネットを見たりというインプットはできても、パソコンを立ち上げて書くことを考えてキーボードを叩いて記事の更新をする、という一連の作業を伴う仕事をするのには気が向かなくなる。その結果が今年度9か月が経過した時点での更新回数である。
 まあ、これも厳しい目で見れば言い訳にしか過ぎない。ずっと仕事の忙しさに飲まれて文章のことをおざなりにしていたが、最近になって自分が文章表現が好きで、本格的にやってみたいのだということを再認識する出来事があった。(この出来事に関してはまた後日詳しく書きたいと思う。)そのためには少しでもたくさん書いて経験値を稼ぎ、少しでもたくさんの本や記事を読んで引き出しを増やしていかなければ。
 私が文章を書くのを遠ざけてしまう要因の一つとして、自分の書くものを一つ一つ作品として完成させなければという強迫観念のようなものを持ってしまっているということがある。ブログを書く時も、何か中身のあるものを、表現として拙くないものを書かねば、という意識にがんじがらめになっているせいで、せっかく浮かんだアイデアを「これはまとまらないな」といって脳内でごみ箱行きにしてしまったり、ネット上で公開するに値しない内容とかってに決めつけて途中で書くことをやめてしまったりしている。これでは「文章表現の経験値を上げる」という目的に関しては本末転倒である。必ずしもブログの記事として公開しなくていいから、思ったことをわーっと書き殴るような文章もたまには書いてみたっていいんじゃないかと思う。むしろそういう感情むき出しの文章にこそ自分の本質みたいな、心の奥の奥の部分みたいなものが滲み出て、おもしろいものになるんじゃなかろうか。
 それから、うちで使えるパソコンが分厚くて重い、動きの悪いノートPC(しかも私が普段いる部屋と別の部屋に据え置き)しかないというのも文章を書かないための言い訳の一つになっていたように感じる。これに関してはですね、私すでに対策を講じました。自分用の新しいノートPCを買いました!イェーイ!自分の活動範囲の中に置いておけば書きたいときにいつでも立ち上げられるし、薄くて比較的軽くバッテリーも7時間近くもつのでいざとなれば家の外にも持ち出せるぜ!
 こういう具体的な方策をとることができたというのは大きな一歩だと思いませんか皆様。貧乏性の私にとってはなかなか思い切った買い物ですよ。そしてこの記事も新しいノートPCを使って書いているわけです。最高。
 というわけで、今年は思いついたことを何も考えず思うがままに書いていければと思います。特に新たに挑戦してみたいのが小説の執筆。ずっと小説を書いてみたいと思っていたんです。というのも、私の好きな作家が25歳の時に処女作の長編小説を出版しているので、私もそれに倣って25歳が終わるまでに1本長編を書いてみたいと思っていて。今年私は24歳になるので、もうそんなに時間はありません。実は構想のようなものは色々とストックしているんです。今思い浮かんでいることと、これから思い浮かぶことをうまく組み合わせて一つの物語を編み出せたらいいな。
 それからインプットも忘れずに。読書に関しては、2018年は自分としては結構満足に本に触れられたんじゃないかと。去年は30冊読めたので、今年は40冊を目標に。去年は読んだものが小説に偏っていた気がするので、ノンフィクションやエッセイや他の人のブログも積極的に読んでいきたいと思います。

 

 今年のこのブログの始まりはこんな感じで。
 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

今週のお題「2019年の抱負」

仕事、将来、ジレンマ。

今の仕事を続けて行きたい欲と、ゆくゆくは転職したい欲が最近せめぎ合っています。

 

私は大学を卒業してから今年度就職の新社会人。就いている職種は、一般的に残業も少なく楽な仕事と言われています。しかし実際はそんなことは無く、配属によっては残業も多く帰りが深夜になることも多々あるということは就活の段階から聞いていて、それも承知の上で就職しました。

働き始めて7ヶ月が経ちましたが、思ってたより仕事がきついかもしれないというのが今考えることです。これまでの半年は新入社員なので与えられる仕事も大して難しいものではなかったということもあり、残業もそんなに長時間やることも無く、割と平穏な日々を過ごしてこられました。でも、私の職場の一番の繁忙期にここ1ヶ月あたりで突入し、残業時間が圧倒的に増えました。

終電、あるいはそれに近い時間まで残業するのをほぼ毎日。終電で帰ると家に着くのは日付が変わる手前です。お風呂に入って寝て、そして翌日は7時頃に家を出る。こうなると平日は趣味や自分の好きなことに費やせる時間はほとんどありません。行き帰りの電車での読書とお風呂上がりに髪を乾かしながらスマホでドラマを見るのだけを楽しみにひたすら仕事に通う毎日。集中力と体力のない私には正直辛いです。

職場の先輩方も、私よりさらに過酷な日々を過ごされています。皆さん家庭を持っていて、小さい子どもを抱える方、先月子どもが産まれたばかりの方、新婚の方と、そんな方たちが毎日のように終電まで職場に残ってPCとにらめっこです。実家暮らしで未婚の私でもこんなに精神的、肉体的な辛さを感じているのに、先輩方へかかっているストレスはどれほどのものだろうと思います。

 

定時を知らせる放送がかかり、他の課の方々が帰り支度を始めても、私の課はみんな姿勢を変えずデスクに向かい続けます。お互いが仲の良い課なので皆で談笑するタイミングも多いものの、誰もがなんとなく疲労感を漂わせていて、何とも言えない悲しさを感じます。

最近日が落ちるのも早くなり、外はどんどん暗くなり、部屋の入口のドアからは冷たい風が入り込んできて、「私、何やってるんだろう」と思いながら仕事をする毎日です。

 

最近、新人研修があり久しぶりに別の配属の同期たちと顔を合わせました。私の所属は同期が一人もいないので、新人ならではの同じ気持ちを抱える仲間たちと話ができてすごく息抜きになりました。

配属先によって業務量の多さはまちまちで、毎日定時に上がれているという同期もいるのですが、私と同じか、またはもっと過酷な長時間労働にさらされている同期もいます。ある友人は、先週は毎日家に帰ると日付が変わっていたそうです。同じような境遇に置かれている人間同士、共感し合いながら研修からの帰り道を歩き、他の同期が直帰する中その時いた3人全員自分の職場に戻りました。

 

私の職場は数年周期で定期的に異動がある所なので、あと数年すれば今の所属から離れ別の所に行くわけですが、その先で長時間労働から開放される保証はないわけで。このまま定年まで続けていけるのだろうかという不安を最近感じています。

 

でもその反面、このまま仕事を続けてキャリアを積んでいきたい気持ちもあるんです。今の仕事は正直言うと私の苦手分野で、配属されて7ヶ月経った今でも分からないことだらけで勉強の日々なんですが、それでもやっぱり入社時と比べるとだいぶ成長したな、と自分でも思うんです。始めは専門用語だらけの先輩上司の会話についていけなかったけれど、今はなんとか話を自分なりに噛み砕くことができるようになりました。こういう内容の書類を作る時は、こういうデータをまず当たってみる、というようなことも何となくわかるようになったし、電話への抵抗感も小さくなってきました。(まだまだ電話は苦手ですが。)今の所属は特に今の時期は残業ばかりで大変だけど、もうしばらくここで仕事をしてある程度分野を極めたいという気持ちが最近強くて。

それと、私の会社は各所属が募集をかけるのに対して興味のある社員が応募して、面接や試験で選抜されればそこに配属されるという制度があります。その中に、私が特に興味のある、いつかやってみたい仕事の募集が毎年かけられているんです。今の所属で数年修行したら、そちらに挑戦してみたいなあ、と最近思っています。ただ、英語ができる方がおそらくそこの所属に採用されやすいようで、応募する年までに英語力をつけたいなあとも思います。

 

一方でどうしても文章や本に関わる仕事への憧れを捨てきれないところもあって。でも今の職場にいる限りは文章を書く余裕もないなあと思ったりもします。自分がどうしたいのかが分からない。就活が終わって就職してからも、自分の将来についてずっと考えています。結婚の予定や家庭生活との兼ね合いもあるし。これからずっと、未来に続けて考えていくんだろうなあ、人間ってそういうものなんだろうなあって思います。

 

昔何かのドラマで、「どんな仕事にも意味を見いだして、目の前の仕事に通う全力で向き合える人間こそ将来力を伸ばしていく」、という言葉を聞きました。これが結構私としては印象に残っていて、この言葉を大事にして仕事をしたいなあと思っています。どんな仕事にも意味がある。今、目の前の仕事に真剣に取り組むことが、将来の自分の糧になるはず。今週も乗り切りたいと思います。

 

おやすみなさい。