おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

「食べる」っていいよねって話

 食べることは生きることとはよく言ったもので、ものを食べることなしには人は生きていけないのであります。将来的には人間の生命活動に必要な栄養素を一粒で全部摂取できるようなサプリのようなものが開発されて、私たちは今のような食事をする必要はなくなるというような話もたまに聞いたりしますけど、どうなんですかね。


 ということで、「食べる」ということについてつらつらと書いてみようかなと。
 

 さっきのパーフェクトなサプリの話ですけど、実際にそんなサプリが開発されたとしても、人類皆がそういうものに頼って今のような食生活と決別する日は来ないだろうと私は思います。(というか、現在でも既に栄養パーフェクト食品、いわゆる「完全食」が開発・販売されているみたい。ちょっと調べたところによると、アメリカの会社が販売している「ソイレント」という粉末を水で溶かして飲む飲みものや、「BASE PASTA」という麺類スタイルの完全食とか。BASE PASTAはちょっと美味しそう。)
 だって、食べるのって楽しいから。私の周りで考えても、大多数の人は美味しいものを食べることを楽しいこと、嬉しいことと捉えている人は圧倒的に多いと思う。もちろん、食べることに対して魅力を感じない人だっている。食べることを面倒に感じる人や、栄養を摂ることができれば何だっていいと思っている人だって少なくはないと思う。でも、少なくとも私は食べることに喜びを感じる人間なのです。
 旅行に行ったら一番楽しみなのはその土地のご当地グルメや地のものを使った料理をいただくことだし、温泉や銭湯に行ってお風呂につかった後のアイスは最高だし、仕事の昼休みに売店カップの春雨スープを買うときはどの味にしようかさんざん悩むし、パスタやオムライスが美味しいカフェを見つけると嬉しい。人と会って食事をするためにお店の予約をするときも、HOT PEPPERグルメのアプリで各店のメニューを調べまくってどの店により美味しそうな、目新しい料理があるかを吟味しまくってからお店を決める。グルメサイトやアプリに関しては私はHOT PEPPER派です。ぐるなびも王道でいいんだけど、やっぱり庶民だからクーポンの魅力には抗えない。


 とか言いつつ、私には定期的に食に対する興味が急に消え失せる時期があります。美味しいものを食べたいという気持ちを抱かなくなって、「生命をつなぐために最低限の栄養が摂れればそれでいいや」って思う時期が1週間ぐらい続き、それが終わると元通り。いつものように食べることが好きな自分が戻ってくる。こういうのを2か月に一度くらいのペースで繰り返してます。
 何が原因でこういうことが起こるんだろうと考えてみたんですけど、おそらくというかやはりというか、自分の精神状態と食欲とは密接に関係しているらしい。そうやって食欲が消えうせるのは決まって何か個人的な悩み事を抱えているときだったりする。年末年始あたりにブログにもちょっと体調が悪いと書いていて、あの時も食欲ゼロだったんですけど、やっぱりあれも将来について悩んでいたのが原因だったんだろうと思います。ぐるぐると考え続けていたのを、最近になって「まあ気楽に考えとくか」と思えるようになって脱することができました。同時に食欲も復活して、昨日は金曜日だったからコンビニに寄ってビールとから揚げ棒とお煎餅買って帰ったよね。亀田製菓の「技のこだ割り」というお煎餅は魚住的猛プッシュライスクラッカーなのでぜひ買ってみてください。めちゃくちゃ醤油の味が濃くてめちゃくちゃ硬くて、原始的なザ・お煎餅が好きな人にはたまらんと思います。あと味が濃いのでお酒に合う。歯が弱い人は気を付けてね、下手したら折れる。

 

亀田製菓 技のこだ割り 120g×6袋

亀田製菓 技のこだ割り 120g×6袋

 

 

 私の推しせんべいの話は置いといて。
 こういう食欲ゼロ期が定期的に来るのには個人的にもう一つ原因として思い当たることがあってですね。多分普通だったら、悩みがあって食欲がない時でも「食べなきゃ元気出ないしとりあえず何でもいいから食べなくちゃ」ってなると思うんです。でも、そこを私は「食欲ないけど食べなきゃ痩せられるし食べなくていいや」ってなってしまう。
 多分こう思ってしまうようになったのは、過去のダイエット経験が原因だと思う。以前、自分でも「少し太ったかな?」と思っていて、人にも「顔丸くなった?」って言われた時がありました。それを受けて、私はダイエットを始めたわけです。夕食を抜いて、炭水化物も極力我慢して、毎日スクワット、夜になったら家の外に出てランニング。結果として3,4か月で3キロ痩せました。顔が少し小さくなって、ウエストがぴったりだったスカートが少し緩くなって、嬉しかった。人に「痩せたね」と言われたことも嬉しかった。以前とは違う自分になったような気がしました。

 


 でも、その代わりに私は呪いにかかってしましました。それは、食べることを悪とみなし、太ることを異様に恐れてしまう呪い。ダイエットに成功してからの私は、少し細くなった体型を維持することに必死になりました。ダイエットのために抜いていた夕食を、それからも抜き続け、外食のときややむを得ず夕食を摂らなければならないときはカロリミットを手放せなくなりました。外食をするときは、少しでもカロリーが低そうなものを無意識に探すようになりました。すべての原因はダイエットに成功した時の快感を忘れられなくなってしまったことにあると思います。何も考えずに食べたいものを食べるということができなくなってしまった。これをダイエットの呪いと呼ばずに何と呼ぶのだろう。

 


 最近、本来ダイエットをする必要のない人がダイエットをして健康を損なっているパターンが多いように思うんです。私は美容やコスメが好きなのでTwitterの美容専用のアカウント、いわゆる美容アカを漁ったりするんですが、アップしてる本人の写真を見た感じ、明らかに太っていない人が一生懸命糖質制限してたり過度に食事の量を減らしていたりする。もちろん健康に問題ない程度で食生活を見直したりお菓子や甘いものを控えたり、運動をしたりするダイエットならとても良いことだと思うんです。でも身体に悪いダイエットは絶対に良くない。
 テレビや雑誌の影響で、アイドルやモデルのような体型が一般的な「美」みたいになってしまっていて、芸能人ではない一般人までもがそのような体系をゴールに据えてしまっている。たしかにテレビや雑誌に出ているような可愛い女の子を見ると私もああなりたいと思うし、彼女たちのような華奢な体系を目指してしまう。でも、皆がああなるのは不可能だし、体に負担がかかる方法でダイエットをしてまでなる必要はないと思う。「女性は見た目に気を遣うべき」「美しくあるべき」みたいなイメージがまだまだ世の中で共有されてしまっているのも、無理なダイエットをする人が多い状況に拍車をかけてますよね。現状、女性の容姿をジャッジする世間の目が男性に対するそれよりも厳しいことは状況としてあると思うし、そもそも美しさというものの現在の基準も狭すぎる気もする。目が大きくて、肌が白くて、まつげが長くて、毛がなくて、細い身体というのだけが美しさではないんじゃないかと思うんです。色々な顔、色々なスタイル、色々なファッションの人がいていいじゃないか。
 私も上に書いた通り以前ダイエットをしたんだけど、今になって考えるとあの頃のダイエットを始める前の私は太ってはいなかったと思う。健康的な体型だったように思います。かと言って、3キロ痩せた自分が今は嫌いかというとそうでもなくて。どんな体型だって毎日元気でご飯が美味しけりゃいいじゃないか。なんならまたちょっと体重増えたしね。健康体重の範囲内なので全く問題なしです。
 何が言いたいかというと、結局無理なダイエットはするもんじゃないってことです。ダイエットの呪いから未だ抜けきれてない私が言うのもなんですけど。それに現時点で健康に害を及ぼすような肥満の人は食事制限や運動はするべきだと思うけど。(それも身体に負担のかからない範囲で、ですが。)
 それから、ひとつ謝りたいことが。以前私はこのブログに、ダイエット方法についての記事をアップしました。内容としては、ざっくり言うと夕食を抜くというものでした。もちろんあの時も健康に問題のない範囲で、という風に注意書きはしたつもりでしたが、今考えれば夕食を抜くというのはそもそもあまり健康に良くないと思います。一日三食しっかり食べないと日々を生き抜く元気が出ない。大した影響力のない個人のブログとはいえ、ああいった身体によくないことを推奨するようなことをネット上で公開してしまいました。該当記事は削除しました。あの記事の影響で心身に悪影響を受けてしまった方がもしいたとすれば、本当に申し訳ないです。


 最初の食の話からだいぶ逸れたので戻します。
 そんなこんなで私は食べることが好き。美味しいものを美味しいと思えるのって当たり前のようだけど幸せなことだよね。毎朝起きて仕事に行くのはつらいけど、お昼休みや家に帰ってから何を食べようかと考えることで頑張れたりする。家族や恋人や友人と会話をするときもそこに美味しいご飯やお菓子があればその場にもっと彩りが咲く気もする。私は昔の思い出をその時食べたものとセットで記憶していたりします。あの時あれを食べたよなあってとこから記憶がどんどんつながって、誰と会ったとかあの時どう思ったかとかを思い出す。そういうことが多い。
 今日は家族で久しぶりに回転寿司に行きました。寿司ネタ何が一番好きですか?私はビントロ。エビもいいよね。頭のついたままのやつはなんだかリッチな感じがしてなおいいね。
 誰にも聞かれていない好きな食べ物の話をすると、最近はピザが大好きです。よく行くショッピングモールのフードコートにあるピザ屋さんのピザが、具がたくさん乗ってて絶品でしかも大きいのに安くて最高。最近食べてないなあ食べたいなあ。あとディズニーランドで食べるピザね。あれ何であんな美味しいんだろうね。ファンタジーランドのキャプテンフックスギャレーのシーフードピザ愛してる。まだ売ってるのかなあれ。次ディズニーランドに行ったときには是非ご賞味あれ。
 「おいしい」を「美味しい」って書くのもなんかいいよね。美しい味ですよ。食は芸術なり!って感じでセンスを感じる。この言葉にこの漢字をあてた人は絶対に美食家だったんだろうと思う。


 職場の人が前に「どうせ食べるのなら美味しいものを食べたいじゃない?」って言ってたんですけど、その通りだと思う。人間の生命活動とは切っても切れない食。せっかくだからちょっとこだわって思いっきり楽しみたいと思う今日この頃。
 でも、夜中にお菓子やコンビニスイーツはよろしくないですね。肌にも胃にも悪い。20代前半にして早くも消化機能の衰えを感じ始めているので、気を付けます。はい。

 
 

大人になった白鳥たちへ

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 5年前、高校3年生の頃、私たち5人は音楽室の黒板の前にセッティングしたアンプに挟まれてマイクを握り、音を奏でていた。「私たち5人」というのは、高校の頃に所属していたアカペラの部活の同学年のメンバーである。アカペラ、楽器を使わずに声や口を使って出す音だけで音楽を奏でること、いわゆる「ハモネプ」でやっているようなアレである。最近ハモネプ見ないなあ。
 私たち5人の引退前最後のライブ、後輩部員たちは交えずに最高学年の私たちだけで1曲演奏をした。皆で息を潜めて曲が始まる前の静寂を作り出し、入りの合図のボイスパーカッションに耳を澄ませて呼吸を合わせ、丁寧に丁寧に、唇で、舌で、声帯で、一音目を奏でる。そこから先は流れるような曲の展開に身を任せつつ、自分なりに噛み砕いた歌詞の意味をイメージしながら言葉を紡ぎ、鳴り響く和音の響きに酔いながらもテンポやピッチを乱さぬよう周囲の音を聴きながら自らの声を緻密に操っていく。ハモリのタイミングでは相手と目を合わせて微笑み合い、曲が一番盛り上がるパートではそれぞれが無意識に心を通わせ合う。複数人が声だけで一つの曲を奏でるとき、当人たちはこれだけのことを曲の間にこなしていく。繊細で、極端に言えば面倒でもあるこの作業に、高校生だった私たちは共に熱中した。進学校ゆえの大量の課題やテストや受験のプレッシャーに疲れきっていても、それでも放課後には狭い音楽準備室に集まってもはや惰性で発声練習に取り組んだものだった。
 先輩の代の演奏のレベルにどうしても追いつけない、自分たちの代の部の運営方針と下の代の意思が噛み合わず後輩から不満が出るなど、部活動をやるうえでの様々なジレンマと闘いながら駆け抜けた引退までの2年半の葛藤と、その間同時に味わった歌うことの喜びや音楽の楽しさが数分間に凝縮されたような、良い意味で青臭い最高の演奏だったと、
社会人になった今でも我ながら思う。

 そんな「最高のラストライブ」を作り上げた私たちは、昨年末に久々に再会を果たした。再会とはいっても私たちは高校を卒業して以来、年に1~2回のペースで集まっているため、いつも通り飲み会をしたというだけの話なのだが。
 あの頃、一つの曲を奏でるという共通の目標に向かって空き教室で日々練習を重ねていた私たちは今、5人がそれぞれ全く別の方向を向いて歩いている。かつて高校の同学年だった私たちは今では社会人、大学院生、大学生の入り混じったグループになった。これだけ色々な立場の人間が定期的に集まって話をするというのは、学生時代の仲間同士ならではだと思う。
 飲み会での会話は9か月ぶりの再会ということもあり互いの近況報告から始まり、仕事の愚痴や将来への焦り、恋愛事情等いかにも20代前半の若者らしい会話が繰り広げられていた。その中で強く思ったのは、みんなうまくいっているように見えてどこかで葛藤を抱えているということだった。
 幼い頃からの憧れの職業に就いた友人も人間関係や多忙さゆえの体力面での不安を抱えていたり、数年前の大学時代から付き合い始めた恋人と今も順調に交際を続けているのであろう友人も、相手との細かいところの考え方の違いにどう対処しようか悩んでいたりする。私自身について考えても、多分周りから見れば無事大学を卒業しそこそこ良い仕事に就いて恋人ともそこそこうまくいっていて、順風満帆そのもので悩みなんてほとんどないように見えるんだろう。でも実際は私も、今の仕事をこのまま続けていけるのだろうか、自分が本当にやりたいことは何なのか、結婚や出産など将来についてはどう考えていこうか、そういった悩みが常に頭の中をぐるぐる回り続けている。最近の軽い身体の不調もその辺を考えすぎているストレスから来ているような気がする。
 そんな感じで、「好きなことで生きていく」を体現しているように見えるあの子も、Instagramで「私、最高に幸せです!」って聞こえてくるような投稿を連投しているあの子も、私の知らないところでめちゃくちゃ悩んでたり、現状の生活を続けていくことに不安を感じていたり、将来について考えすぎて眠れなくなったり食欲がなくなったりしているんだろうと思う。みんな水面下でバタ足する白鳥なんだと思う。そういう白鳥たちが、目一杯悩んで目一杯考えながら歩を進めていくのがこの社会だ。
 友人たち皆が現状や将来に悩みに悩みまくっている話を聞くと、「なんて生きづらい世の中なことよ!」と思ってしまう。特に、社会の構造上「あれとこれをしたい」となった時にどちらかを諦める選択をしなければならないケースが多いように思う。家庭生活と仕事、趣味と仕事、何に関してもそうであるが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」が美徳のようになってしまっている感じがする。やりたいことを全部やり切りたい人にもっと協力的な風潮があってもいいんじゃないかと思う。
 でも、下を向いてばかりだった私とは違い、前を向けるようになった今の私は現状に嘆くばかりではない。「皆が色々ともがいているのだから私ももっともがいてみよう」と思えるようになった。皆がこうしているのだから私もこうしないと、という強迫観念的な考え方は人に無理を強いるものにもなりうるので危険でもあるのだけれど、「あーしんどいな」って感じたときに別の場所で同じようにしんどさと戦っている仲間がいると思えるのは何となく心強い。

 食事を終え解散した後、私のスマホで自撮りした5人の写真をグループLINEに上げた。写真の中の若者たちは、誰もが高校生の頃と変わらない笑顔を浮かべていた。
 あの頃音楽室に響き渡ったハーモニーは、きっと今でも私たちの胸の中で共鳴し続けている。

あけおめ2019

 明けましておめでとうございます。2019年になりました。
 このブログをお読みいただいている皆様は新年をいかがお過ごしでしょうか。私は、正月にかこつけてお寿司やチキンやしゃぶしゃぶやケーキやらの贅沢品をいただいたり、正月にかこつけて夜中まで起きて昼まで寝たり、正月にかこつけて近所のショッピングモールで散財したりしているところでございます。元旦から着物を身にまとって人混みの中初詣でに出かけたり、寒い中初日の出を見に山に登ったりする柄でもない。近所の小さな神社に家族で足を運んでお参りし、町内会の人にスルメとお神酒と祝箸をもらいたき火を囲んで帰りました。THIS IS田舎者のお正月の過ごし方ですよ。
 今夜も家族で家で食事しました。食卓に並ぶは寿司40貫盛がひとつ、24貫盛がふたつ、惣菜のオードブルがひとつ。正月だしパーッと、と言って回転寿司のチェーン店で寿司盛を注文し、予約した時間に受け取りに行った帰りに飲み物を買いに近所のスーパーに行ったら5,000円の寿司盛が1,000円に、1,980円のオードブルが500円になってたんです。その結果我が家の食卓には母、父、私の3人という少人数に見合わない大ボリュームのメニューが並ぶことになったわけです。田舎のスーパー恐ろしや。

 

 さて、新年ということで一年の始まりにふさわしいような記事を書きたいところでありますが、こういうタイミングには新年の抱負を書き綴るのが定石でございます。例に倣って私も今年の抱負でも記しておこうかなと思います。
 まだ去年の振り返りもできていないので、2018年の反省も踏まえてまとめておきたいですね。世に言う「書き初め」というのは一般に書道のことを言いますが、文章の「書き初め」で新しい一年の幕開けにしたいと思います。

 

 まず、去年の反省。一番大きいのが、初めての社会人生活に身体的に疲れすぎてしまったということ。
 去年の4月から新卒社員として働き始めて9か月が経つわけですが、本当に体力が落ちました。急に身体の衰えを感じるようになった。もうね、基本的にずーっとだるい。貧血だと思うんですけど、社会人になって以上に疲れやすくなりました。
 原因は多分睡眠不足だってことはわかってるんですけどね。社会人になって、学生の時に比べて朝起きる時間が早くなりました。7時過ぎに家を出るので6時起き。(最近は寒さで起きられなくなってだいたい6時半起きですが…。)寝る時間は深夜1時くらいで前とあまり変わらないから結局約5時間睡眠。もともとロングスリーパーの私にはなかなかきつい。寝る時間を早くすればいいって話なんですけどなかなか、ね。残業して帰ってくると家に着くのがもう夜の9時10時ですよ。そこからお風呂に入って、それから読書したりネットサーフィンしたりとなるともう深夜。読書やネットの時間を削ればいいんだろうけど、趣味に費やす時間がないと仕事を頑張れないタチなのが難しいところ。
 結果として仕事中、特に昼過ぎには異常な眠気に襲われ、インスタントコーヒーに頼りカフェインを摂りまくって対抗。建物の3階にある職場に向かうために階段を上るだけで息切れ。慢性的な軽い立ち眩み。(先日は仕事中にコーヒーを飲もうと電気ポットの熱湯をマグカップに注ぎ、自席に戻ろうと歩きだしたところ立ち眩みが起こり熱々のコーヒーをぶちまけそうになった。)外食の際に麺類や丼ものを注文すれば半分で食べるのに疲れ残す。将来について話をしていたら深刻な会話の内容に感情が高ぶったせいもあって軽い過呼吸を起こす、等々散々な状況。
 何とかしなければとは思うもののなかなか対策がとれていません。おそらく貧血が原因だと思われるので先日鉄分のサプリを購入したものの、その数日後に友人から、無暗にサプリメントを飲んでいると実際は足りているはずの栄養分を過剰に摂取してしまっている、ということが起こりやすく、その場合余分な栄養を消化するために肝臓に負担がかかってしまうということを聞いてサプリは一粒飲んだまま放置。どうすりゃいいのさ。いやまあ病院行けって話なんだろうけど。
 あと寝ればいいんだな、寝れば。しかしそこそこに残業が多い部署に配属されてしまったのと家から職場までが遠く通勤に時間がかかるのが痛いところである。こうなれば読書やネットサーフィンはなるべく通勤の間や休日に回して平日は早く寝るようにするしかない。身体のためと思ってなんとか生活をシフトしよう。

 

 それからもう一つ反省点がある。あれだけやりたいやりたいと大口叩いていた物書きが全然できなかったことだ。これも言い訳をするとすれば、仕事が忙しくて文章を書くのに時間を割けなかったことが原因ではある。一日働いて残業もこなして疲れて帰るとどうしてもエネルギーを要することをこれ以上行うことを避けるようになる。本を読んだりネットを見たりというインプットはできても、パソコンを立ち上げて書くことを考えてキーボードを叩いて記事の更新をする、という一連の作業を伴う仕事をするのには気が向かなくなる。その結果が今年度9か月が経過した時点での更新回数である。
 まあ、これも厳しい目で見れば言い訳にしか過ぎない。ずっと仕事の忙しさに飲まれて文章のことをおざなりにしていたが、最近になって自分が文章表現が好きで、本格的にやってみたいのだということを再認識する出来事があった。(この出来事に関してはまた後日詳しく書きたいと思う。)そのためには少しでもたくさん書いて経験値を稼ぎ、少しでもたくさんの本や記事を読んで引き出しを増やしていかなければ。
 私が文章を書くのを遠ざけてしまう要因の一つとして、自分の書くものを一つ一つ作品として完成させなければという強迫観念のようなものを持ってしまっているということがある。ブログを書く時も、何か中身のあるものを、表現として拙くないものを書かねば、という意識にがんじがらめになっているせいで、せっかく浮かんだアイデアを「これはまとまらないな」といって脳内でごみ箱行きにしてしまったり、ネット上で公開するに値しない内容とかってに決めつけて途中で書くことをやめてしまったりしている。これでは「文章表現の経験値を上げる」という目的に関しては本末転倒である。必ずしもブログの記事として公開しなくていいから、思ったことをわーっと書き殴るような文章もたまには書いてみたっていいんじゃないかと思う。むしろそういう感情むき出しの文章にこそ自分の本質みたいな、心の奥の奥の部分みたいなものが滲み出て、おもしろいものになるんじゃなかろうか。
 それから、うちで使えるパソコンが分厚くて重い、動きの悪いノートPC(しかも私が普段いる部屋と別の部屋に据え置き)しかないというのも文章を書かないための言い訳の一つになっていたように感じる。これに関してはですね、私すでに対策を講じました。自分用の新しいノートPCを買いました!イェーイ!自分の活動範囲の中に置いておけば書きたいときにいつでも立ち上げられるし、薄くて比較的軽くバッテリーも7時間近くもつのでいざとなれば家の外にも持ち出せるぜ!
 こういう具体的な方策をとることができたというのは大きな一歩だと思いませんか皆様。貧乏性の私にとってはなかなか思い切った買い物ですよ。そしてこの記事も新しいノートPCを使って書いているわけです。最高。
 というわけで、今年は思いついたことを何も考えず思うがままに書いていければと思います。特に新たに挑戦してみたいのが小説の執筆。ずっと小説を書いてみたいと思っていたんです。というのも、私の好きな作家が25歳の時に処女作の長編小説を出版しているので、私もそれに倣って25歳が終わるまでに1本長編を書いてみたいと思っていて。今年私は24歳になるので、もうそんなに時間はありません。実は構想のようなものは色々とストックしているんです。今思い浮かんでいることと、これから思い浮かぶことをうまく組み合わせて一つの物語を編み出せたらいいな。
 それからインプットも忘れずに。読書に関しては、2018年は自分としては結構満足に本に触れられたんじゃないかと。去年は30冊読めたので、今年は40冊を目標に。去年は読んだものが小説に偏っていた気がするので、ノンフィクションやエッセイや他の人のブログも積極的に読んでいきたいと思います。

 

 今年のこのブログの始まりはこんな感じで。
 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

今週のお題「2019年の抱負」

仕事、将来、ジレンマ。

今の仕事を続けて行きたい欲と、ゆくゆくは転職したい欲が最近せめぎ合っています。

 

私は大学を卒業してから今年度就職の新社会人。就いている職種は、一般的に残業も少なく楽な仕事と言われています。しかし実際はそんなことは無く、配属によっては残業も多く帰りが深夜になることも多々あるということは就活の段階から聞いていて、それも承知の上で就職しました。

働き始めて7ヶ月が経ちましたが、思ってたより仕事がきついかもしれないというのが今考えることです。これまでの半年は新入社員なので与えられる仕事も大して難しいものではなかったということもあり、残業もそんなに長時間やることも無く、割と平穏な日々を過ごしてこられました。でも、私の職場の一番の繁忙期にここ1ヶ月あたりで突入し、残業時間が圧倒的に増えました。

終電、あるいはそれに近い時間まで残業するのをほぼ毎日。終電で帰ると家に着くのは日付が変わる手前です。お風呂に入って寝て、そして翌日は7時頃に家を出る。こうなると平日は趣味や自分の好きなことに費やせる時間はほとんどありません。行き帰りの電車での読書とお風呂上がりに髪を乾かしながらスマホでドラマを見るのだけを楽しみにひたすら仕事に通う毎日。集中力と体力のない私には正直辛いです。

職場の先輩方も、私よりさらに過酷な日々を過ごされています。皆さん家庭を持っていて、小さい子どもを抱える方、先月子どもが産まれたばかりの方、新婚の方と、そんな方たちが毎日のように終電まで職場に残ってPCとにらめっこです。実家暮らしで未婚の私でもこんなに精神的、肉体的な辛さを感じているのに、先輩方へかかっているストレスはどれほどのものだろうと思います。

 

定時を知らせる放送がかかり、他の課の方々が帰り支度を始めても、私の課はみんな姿勢を変えずデスクに向かい続けます。お互いが仲の良い課なので皆で談笑するタイミングも多いものの、誰もがなんとなく疲労感を漂わせていて、何とも言えない悲しさを感じます。

最近日が落ちるのも早くなり、外はどんどん暗くなり、部屋の入口のドアからは冷たい風が入り込んできて、「私、何やってるんだろう」と思いながら仕事をする毎日です。

 

最近、新人研修があり久しぶりに別の配属の同期たちと顔を合わせました。私の所属は同期が一人もいないので、新人ならではの同じ気持ちを抱える仲間たちと話ができてすごく息抜きになりました。

配属先によって業務量の多さはまちまちで、毎日定時に上がれているという同期もいるのですが、私と同じか、またはもっと過酷な長時間労働にさらされている同期もいます。ある友人は、先週は毎日家に帰ると日付が変わっていたそうです。同じような境遇に置かれている人間同士、共感し合いながら研修からの帰り道を歩き、他の同期が直帰する中その時いた3人全員自分の職場に戻りました。

 

私の職場は数年周期で定期的に異動がある所なので、あと数年すれば今の所属から離れ別の所に行くわけですが、その先で長時間労働から開放される保証はないわけで。このまま定年まで続けていけるのだろうかという不安を最近感じています。

 

でもその反面、このまま仕事を続けてキャリアを積んでいきたい気持ちもあるんです。今の仕事は正直言うと私の苦手分野で、配属されて7ヶ月経った今でも分からないことだらけで勉強の日々なんですが、それでもやっぱり入社時と比べるとだいぶ成長したな、と自分でも思うんです。始めは専門用語だらけの先輩上司の会話についていけなかったけれど、今はなんとか話を自分なりに噛み砕くことができるようになりました。こういう内容の書類を作る時は、こういうデータをまず当たってみる、というようなことも何となくわかるようになったし、電話への抵抗感も小さくなってきました。(まだまだ電話は苦手ですが。)今の所属は特に今の時期は残業ばかりで大変だけど、もうしばらくここで仕事をしてある程度分野を極めたいという気持ちが最近強くて。

それと、私の会社は各所属が募集をかけるのに対して興味のある社員が応募して、面接や試験で選抜されればそこに配属されるという制度があります。その中に、私が特に興味のある、いつかやってみたい仕事の募集が毎年かけられているんです。今の所属で数年修行したら、そちらに挑戦してみたいなあ、と最近思っています。ただ、英語ができる方がおそらくそこの所属に採用されやすいようで、応募する年までに英語力をつけたいなあとも思います。

 

一方でどうしても文章や本に関わる仕事への憧れを捨てきれないところもあって。でも今の職場にいる限りは文章を書く余裕もないなあと思ったりもします。自分がどうしたいのかが分からない。就活が終わって就職してからも、自分の将来についてずっと考えています。結婚の予定や家庭生活との兼ね合いもあるし。これからずっと、未来に続けて考えていくんだろうなあ、人間ってそういうものなんだろうなあって思います。

 

昔何かのドラマで、「どんな仕事にも意味を見いだして、目の前の仕事に通う全力で向き合える人間こそ将来力を伸ばしていく」、という言葉を聞きました。これが結構私としては印象に残っていて、この言葉を大事にして仕事をしたいなあと思っています。どんな仕事にも意味がある。今、目の前の仕事に真剣に取り組むことが、将来の自分の糧になるはず。今週も乗り切りたいと思います。

 

おやすみなさい。

休日が終わる。

ああーーー週休3日制になんないかな!

最近三連休が続いてたから今週末の土日休みが物足りないよ。

もうね、やりたいことが多すぎて時間足りないんすよ。本も読みたいし字の練習もしたいし資格の勉強もしたいしゲームもしたいし買い物にも行きたいし美術館にも行きたいしいっぱい寝たいし美味しいもの食べたい。土日だけじゃやりきれないですよ。

これからは法律で週休3日にしませんか?そしたらみんなもっと幸せになるよ。そうしようよ。

 

まあそんなことを夢見たりはするものの、実現可能性は限りなくゼロに近いわけで。また明日から一生懸命働かなくてはいけないわけであります。

 

もう社会人になってから半年が経ちます。

仕事に慣れたのが半分、その反面、半年経ったのによく分からないことばっかりで焦るのか半分。周りの人が仕事のできる人ばっかりで、そりゃあもう何年も何十年も社会に出て働いている方々とぺーぺーの自分を比べること自体間違ってるのは分かってるんだけど、たまに落ち込んだりするよね。

私が先輩方と同じ歳になった時、私は彼らと同じくらいの能力を身につけられているんだろうか。そうやって考えると気分が重くなるけど、とりあえず目の前の仕事に真剣に向き合うまでです。

私の職場、これから一年で一番の繁忙期に入るんです。最高に忙しい時は終電逃すのは当たり前でタクシーで帰って家で寝るだけ寝てまた出勤する毎日になるそうな。ああ恐ろしや。

 

まあ、適度に頑張りますよ。疲れたら美味しい物食べて好きなことして寝る。それでなんとかなるよきっと。

Mm…頑張ってみるよ、やれるだけ。

山崎まさよしのセロリ、恋人がよくカラオケで歌う曲です。モノマネで歌うのを練習したらしいです。あんまり似ていないことは本人には言いません。

 

実に4ヶ月ぶりの投稿なので、自分の整理のためにも近況を書いておこう。

 

読書は続けてる。なんと、「好きな作家」が定まりました。ずっと探してたの、「好きな作家は?」って聞かれた時に答えられるものが。

原田マハさんの作品が好きです。とは言ってもまだ4冊しか読んでないけど。

「楽園のカンヴァス」「異邦人」「暗幕のゲルニカ」「フーテンのマハ」を読みました。

マハさんの書く文章はとにかく美しくて、物語の登場人物達はみんな魅力的で、憧れの作家さんです。小説の素晴らしさはもちろん、エッセイも軽さとクレバー感のバランスが絶妙。こんな文章描けるようになりたい。

今は東野圭吾の「マスカレード・ナイト」を読んでます。ハードカバーの本買うの初めて。重くて持ちづらいけど面白くて電車で一生懸命読み進めてます。

 

最近ゲーム欲がすごいです。

恋人がPlayStation2を買いました。ワンダの巨像とかペルソナ4とかをやってます。人がゲームやってるのを見るとこっちもやりたくなるのはなんなんでしょうね。

羨ましくて家に帰ってずっと放置してたドラクエを再開しました。どのシリーズだったかはよく分からない。ドラクエのどれがどれなのかが私にはさっぱり分からんのです。

主人公が天使のやつ、とか、人がいっぱい出てくるやつ、とかの区別しかできない。だから全然人に伝わらない。しょうがないじゃんねえ。

子ども向けじゃないちょっとダークで頭使うようなゲームをしたいけど、そうするとどうしてもホラー要素やグロ要素が入ってくるのが難しい。そういうのは苦手なんだよなあ。怖い。特にグロいやつ。映画もあんまり見られなくて不便なんですよね。

 

仕事中に眠くなります。眠くて眠くて全然仕事にならない時が毎日のようにあって結構困ってる。

どうしたもんかね。一日6時間くらい寝てても眠い。足りないのかな。自分がロングスリーパーなんじゃないかってのは薄々分かってはいるんだよ。多分足りないんだな。

しかし残業が続いてると一日6時間睡眠が限界。カフェインもそんなに効かないんだよ。どうしたもんか。睡眠外来に行くことも考えたりする。

 

こんなもんか。あ、あとちょっと太ったと思います。運動不足はよくないね。

 

それでは。

 

一人でいい

今日ね、職場の新人研修だったんですよ。
会社全体の新人が集められてみんなで講義聴くの。一日中。

 

昼食も研修所で食べるんです。
昼休憩の時間になったら皆それぞれ仲良い人同士で集まってグループ作ってご飯を食べる。
あれがね、どうも苦手。

ただ単に私がコミュ障ってだけなんだけどさ。
小心者だから色々考えちゃうし。
「○○ちゃんと食べようかな。あ、でもあの子は朝別の子としゃべってたな。その子と食べるかな。私が行ったら迷惑かもな」とか、ひたすら考えちゃう。
そうやって思いを巡らしてると、「もうめんどくさいから一人でいいや」ってなるんですね。 

 

で、いざ一人で食べようと思うものの今度は周りの目が気になる。
一人でご飯食べてたら友達もいない寂しいやつだって思われるやん…。
もういい歳の社会人なんだから誰が一人でスマホいじりながらお弁当食べようが勝手だろとは思うんだけど、やっぱりチキンなもんで。

 

そうこうしながら思ったんですけど、どうやら私には同期と仲良くなろうという気がないんだな。
なんでだろう。

どうせ仕事上の上辺だけの付き合いになることが分かってるからかな。


思えば私は本当に気が合う人としか仲を深めることができない。波長が合うと感じた人と、親しくできればそれでいいと思ってる。

大学1年の時も、新学期始まってそうそうは一緒に昼食を食べる友達はいた。
でも、他人に合わせて自分の行動を選択するのが面倒になって自分からフェードアウトしてしまった。
それからは学部ではいつも単独行動。
ざわざわした講義室の中ではいつも一人でお弁当を食べたし、講義も一人で聴いて、テスト前は過去問を調達してくれる友達もいないからヤマなんて晴れず闇雲に勉強。

 

それでも嫌ではなかった。
他人に合わせて面白くもないのに笑ったり、行きたくもない食堂に行くよりずっとよかった。

 

ただ、多くの学生にしてみれば私みたいな一人ぼっちは「可哀想」に見えるのだということは知ってる。
周りの目が気になってしまうのは悩みの一つとしてずっとあった。
単に私が自意識過剰なだけかもしれないんだけど。

 

しかしですよ、社会人になってまで同じ思いをするとは思わなかった。
一人でご飯を食べることにちょっと罪悪感を感じてしまうのは、学生のうちだけだと思ってた。

 

単純に皆がああやって自然に数人のグループに固まって散っていく光景に嫌悪感を覚えてしまう。
そんなに話も合わない人と無理やり会話を繋げようと気を揉みながら食事をするのが嫌だ。
だったら一人で雑誌見たりスマホで大好きなディズニーの情報仕入れたりしながらご飯食べたいよ。

 

多分そんなに友達欲しいと思ってないんだろうな。
家族といるのは楽しいし、恋人との時間も幸せだし、最低限の気の合う友達もいるし、もう十分かなってどこかで思ってる。んだと思う。

 

職場の同期の友人作ったところで、私結構な確率で後2,3年で結婚して今の仕事辞めるし。
恋人とは結婚の約束をしてるんですけど、彼は今大学院生なのでどこに就職になるのかまだ分からないのです。
もし引っ越すとなればまあ私が今の仕事を辞めてついていく流れになるんでしょう。
今のところ私も今の職場を辞めたところでそこまで未練もないだろうから、私としても特に問題はないし。まだ就職して2か月で判断するようなことではないですが。
親元を離れるのが寂しいくらいかな。

 

だからまあ、今の職場で仕事のためのコネクションを作ったところで、あと2,3年で引っ越したとすればそれもパーなんですよ。
そう考えるとそんなに群れる必要はないかなって。
同期の友人がいないわけではないしね。

 

まあ、それもこれも実際は、コミュ障の痩せ我慢なのかもしれないですけどね。
もうね、自分が一人が好きなのか誰かと一緒にいるのが好きなのか、よく分からんのです。

多分だけど、めちゃくちゃ気の合う、気を遣い合う必要のない相手と一緒にいて、たまに一人でぼーっとできるのがいいんだな。私は。

 

そう思うと、私にとってそういう気楽な相手ってのが家族と恋人なんだなあ。
家族は生まれてからずっと近くにいるから気楽なのは当たり前として、他人でしかも性別も違う今の恋人と出会えて、しかも今の関係になれたのは、本当に奇跡的で幸せなことなんだなあ。

 

あーなんか結局のろけで終わってしまった。
私こういうの多いんだよね。

 

まあ何でもいいや。私今幸せだし。
明日はコンビニで買ったパンとおにぎり持って一人で公園の日陰でも探そうかな。

本と車

お久しぶりでございます。1か月ちょいブログを放置していました。なんかね、仕事終わって帰ってくると頭使わないことしかしたくなくなるのよね。言い訳ですけどね。

 

始業から就業まで約8時間数字とにらめっこして、まあまあな混み具合の電車に乗って帰宅。するともう、あったかいご飯食べて次の日のお弁当の準備して、お風呂入って寝る、それ以外はドラマ見るか本読むかスマホいじるっていう選択肢しかなくなってしまうのです。最低限やることやったらあとはダラダラ過ごして眠くなったら寝る。なんて人間的な生活なんでしょう。

あ、でもね、最近は簿記の勉強もちょこちょこしてる。ちゃんと勉強しないとなかなか仕事できるようにならなさそうでしてね。

ともかくブログを書かなくなってしまった。卒業前は毎日書いてたのに。悲しい。

 

なんでブログ書かないんだろう私は。もちろん文章は好きなんだけど。

たぶん今は書くより読む方が好きなんだろうな。

私の習性みたいなものなんですけど、趣味が何パターンかあってころころローテーションしてくんですよ。読書とか映画鑑賞とかゲームとかカラオケとか。で、この時期はこれ!っていうのが明確に決まってる。そして、一つの時期にマイブームは一種類。2つのことは同時にできない性分だから、同時に二つのことにはハマらないの。

それが今は読書。

毎日の通勤ルートのうち電車に乗っているのが片道約50分。そのうち30分は比較的車内が空いていて、本が読める。この読書タイムが最近のささやかな楽しみなのです。

だから、一日中本のことばっか考えてる。あの話の続きはどうなるんだろうとか、次は何を読もうとか。

あと最近買ったマイカーのことと。軽だけど。必要に迫られて仕方なく買ったんですけどね、いざ一台自分のものになると愛おしくてしょうがないね。無意味に乗り回したくなるね。

 

というわけで、「書くこと」が今後ろに引っ込んじゃってるんですね。まあ書きたくなったら書くぐらい気楽にやってたらいいかな、とか。

 

そんなこんなで明日は金曜日。週末まであと一日頑張れ自分、頑張れみんな。