おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

大学の卒業式に出席しないという選択

 

 

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先日、私の大学でも卒業式が開催された。

男子はスーツに、女子は袴に身を包み、講堂で学長の挨拶を聞いて、友人同士で集まって話をしたり、写真を撮ったりしたのだろう。

 

私自身も今年大学を卒業する立場であるにもかかわらず、卒業式の風景を「~だろう」という推測の文体で記述したのには理由がある。他の卒業生が晴れ姿で大学に集まり学生生活最後の日を過ごしている中、私は部屋着のまま家でいつものごとく本を読んだりブログを書いたりしていたのである。

 

私は卒業式に出席しなかった。

理由は2つ。1つは式に出席することに対してあまり必要性を感じなかったから。もう1つは、私は女なので式に出るにあたって袴を着なければいけないのだが、袴を着るためにかかる費用や手間といったコストを考えると、式に出席することが煩わしく感じられたからだ。

着飾るにはお金がかかるものである。

私の家では成人式のときに母に振袖一式を購入してもらった。うちは妹もいて二人姉妹なので、二人が同じ振袖を着ることを考えれば、一人ずつその都度振袖をレンタルするのと一式購入してしまうのとで大して費用の差がなかったからだ。

ただ、卒業式の袴に関しては購入していないので、レンタルしなければいけない。着付けにもお金がかかるし、髪型のセットもお店でプロにやってもらうものだと聞いている。

そう考えると、たった数時間の卒業式にお金をかけるのなら、そのお金で好きな服を買ったり美味しいものを食べたりするのに使いたいと私は思った。普段できない和装をしてみたいとも思ったが、成人式のときに振袖を着ることはできたので、それで十分だった。

袴を着るのが嫌ならスーツで行ったらいいのではないかとも考えた。男子学生はほとんどがスーツで卒業席に出席するのだし、女子学生がスーツを着ていてももちろん問題はないはずである。そもそも大学の卒業式に服装の規定はない。

しかし、どう考えても私の大学の卒業式にスーツあるいは私服で出席する女子学生などほとんどいないのであって、私がスーツで行ったとしてその場で浮いた存在になるのは間違いないのである。そう思うのも私が自意識過剰だからであって、他の卒業生は皆が綺麗な袴に身を包む中私が一人地味なスーツ姿でいようとまったく気にしないのかもしれない。そうだとしても、私は人からの評価を異様に気にしてしまう性格なので、自分一人だけ違う服装でその場にいる状況にいたたまれなくなることは避けられないのである。

そんな思いをしてまで卒業式に出席する勇気は私にはない。そんな勇気があれば、こんな情緒不安定なブログを書いてはいないだろうし、今頃起業でもして将来に怯えず快活に生きているかもしれない。

それに、そんな惨めな思いをしてまで出席するほどの価値が大学の卒業式にあるとは、少なくとも私には思えなかった。大学の卒業式やそれに出席するほかの大学生を見下しているわけでは全くない。ただ、私がその場に行くことで発生するメリットがたいしたものではないと、私が判断したというだけの話である。

というのも、大学生が卒業式に出席する目的と言えば大きく分けて袴など非日常的な服装を楽しんだり、その格好で仲間と写真を撮ること、大学を卒業したらなかなか会えなくなるような人と、最後に一言交わしておくこと、くらいであろう。もちろんこれは私の偏見に過ぎず、実際は皆式に出席すること自体に大きな価値を置いているのかもしれないが。

そうと考えると、私はそれらの目的を果たしたいという気持ちがとても薄いのだ。

いつもは着られない袴を着ることに関しては、先ほども書いた通り、成人式のときに振袖を着られたのでもう満足している。和装も素敵だとは思うが、正直言って私は洋風のドレスを着ることに対する憧れの方が大きいし、好きなブランドの服で普段着を固めて街を闊歩したい願望の方が強い。写真を撮るのもそんなに好きではない。

大学の友人に関しては、先日のサークルの追い出しコンパのときに最後に会っておきたい人とは一通り挨拶を済ませたし、サークル以外の大学内のコミュニティについては私はほとんど友人がいないので、問題はないわけである。こう書くとすごく悲しくなってくる気もしないわけではないが、交友関係は深く狭くの方がいいということにしておく。

 

こうなると、いよいよ卒業式に出るのが億劫になってくる。

そもそも卒業式に出席しないと卒業できないなんてことはないのだ。就職先には卒業証明書を提出する必要があるが、それに関しては大学の窓口で発行してもらうので、式当日に会場にいたかいなかったかなんてのは全く関係ない。

こうして私は卒業式に出席しないことを選んだ。

幸い私の両親は二人の娘に対しては放任的な考えを持っていたので、そのことを伝えても「本当にいいの?」と聞かれるだけで、式に欠席することを否定されることは全くなかった。むしろ卒業式に出ないのならせっかくだからその日は家族で卒業祝いをしよう、ということになり、近所の居酒屋で飲むことになった。こういう時に、我ながら、寛容な良い家庭に生まれ育ったと思う。

 

私はこうして卒業式に出席せずして大学を卒業したわけだが、今のところ全くその選択をしたことに対して後悔はない。式当日は友人同士のLINEグループに綺麗な振袖と袴に身を包んだ友人たちの写真が大量に貼られたのだが、「やっぱり私も袴を着ておけばよかったな」と思うこともなく、「わ~みんな綺麗だな~!」と思いながら眺めただけだった。

ただ、一つだけ引っかかるのは、卒業式を欠席することを家族と恋人にしか言えなかったことだ。友人にはもちろんあえて言うことはしなかったし、美容院に行って美容師さんと卒業式の話になった時も、出席する予定であるていで話をしてしまった。「振袖と袴は何色なんですか~?」と聞かれて、「振袖は紫で、袴は緑なんです~」とまで答えてしまった。着る気もないのに。

式に出ないということをごく近しい人たちにしか言えなかったのも、どこか式に出ないことを負い目に難じている部分が自分の中であったからだろう。私は全く式に出席しなかったことを後悔していないつもりでいるが、心の底ではモヤモヤが残っているのかもしれない。自分で決めたことなんだから、自分の選んだ選択肢に自信を持てばいいのだろうけど、まだ私には自分を100パーセント信じてあげられるだけの勇気はないのだと思う。

 

ただ、卒業式に出ていようがいまいが、私がこの春無事に大学を卒業したことは事実なのである。

卒業おめでとう、自分。そして、全国の卒業生。

これからの未来に幸あれ。