おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

大人になった白鳥たちへ

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 5年前、高校3年生の頃、私たち5人は音楽室の黒板の前にセッティングしたアンプに挟まれてマイクを握り、音を奏でていた。「私たち5人」というのは、高校の頃に所属していたアカペラの部活の同学年のメンバーである。アカペラ、楽器を使わずに声や口を使って出す音だけで音楽を奏でること、いわゆる「ハモネプ」でやっているようなアレである。最近ハモネプ見ないなあ。
 私たち5人の引退前最後のライブ、後輩部員たちは交えずに最高学年の私たちだけで1曲演奏をした。皆で息を潜めて曲が始まる前の静寂を作り出し、入りの合図のボイスパーカッションに耳を澄ませて呼吸を合わせ、丁寧に丁寧に、唇で、舌で、声帯で、一音目を奏でる。そこから先は流れるような曲の展開に身を任せつつ、自分なりに噛み砕いた歌詞の意味をイメージしながら言葉を紡ぎ、鳴り響く和音の響きに酔いながらもテンポやピッチを乱さぬよう周囲の音を聴きながら自らの声を緻密に操っていく。ハモリのタイミングでは相手と目を合わせて微笑み合い、曲が一番盛り上がるパートではそれぞれが無意識に心を通わせ合う。複数人が声だけで一つの曲を奏でるとき、当人たちはこれだけのことを曲の間にこなしていく。繊細で、極端に言えば面倒でもあるこの作業に、高校生だった私たちは共に熱中した。進学校ゆえの大量の課題やテストや受験のプレッシャーに疲れきっていても、それでも放課後には狭い音楽準備室に集まってもはや惰性で発声練習に取り組んだものだった。
 先輩の代の演奏のレベルにどうしても追いつけない、自分たちの代の部の運営方針と下の代の意思が噛み合わず後輩から不満が出るなど、部活動をやるうえでの様々なジレンマと闘いながら駆け抜けた引退までの2年半の葛藤と、その間同時に味わった歌うことの喜びや音楽の楽しさが数分間に凝縮されたような、良い意味で青臭い最高の演奏だったと、
社会人になった今でも我ながら思う。

 そんな「最高のラストライブ」を作り上げた私たちは、昨年末に久々に再会を果たした。再会とはいっても私たちは高校を卒業して以来、年に1~2回のペースで集まっているため、いつも通り飲み会をしたというだけの話なのだが。
 あの頃、一つの曲を奏でるという共通の目標に向かって空き教室で日々練習を重ねていた私たちは今、5人がそれぞれ全く別の方向を向いて歩いている。かつて高校の同学年だった私たちは今では社会人、大学院生、大学生の入り混じったグループになった。これだけ色々な立場の人間が定期的に集まって話をするというのは、学生時代の仲間同士ならではだと思う。
 飲み会での会話は9か月ぶりの再会ということもあり互いの近況報告から始まり、仕事の愚痴や将来への焦り、恋愛事情等いかにも20代前半の若者らしい会話が繰り広げられていた。その中で強く思ったのは、みんなうまくいっているように見えてどこかで葛藤を抱えているということだった。
 幼い頃からの憧れの職業に就いた友人も人間関係や多忙さゆえの体力面での不安を抱えていたり、数年前の大学時代から付き合い始めた恋人と今も順調に交際を続けているのであろう友人も、相手との細かいところの考え方の違いにどう対処しようか悩んでいたりする。私自身について考えても、多分周りから見れば無事大学を卒業しそこそこ良い仕事に就いて恋人ともそこそこうまくいっていて、順風満帆そのもので悩みなんてほとんどないように見えるんだろう。でも実際は私も、今の仕事をこのまま続けていけるのだろうか、自分が本当にやりたいことは何なのか、結婚や出産など将来についてはどう考えていこうか、そういった悩みが常に頭の中をぐるぐる回り続けている。最近の軽い身体の不調もその辺を考えすぎているストレスから来ているような気がする。
 そんな感じで、「好きなことで生きていく」を体現しているように見えるあの子も、Instagramで「私、最高に幸せです!」って聞こえてくるような投稿を連投しているあの子も、私の知らないところでめちゃくちゃ悩んでたり、現状の生活を続けていくことに不安を感じていたり、将来について考えすぎて眠れなくなったり食欲がなくなったりしているんだろうと思う。みんな水面下でバタ足する白鳥なんだと思う。そういう白鳥たちが、目一杯悩んで目一杯考えながら歩を進めていくのがこの社会だ。
 友人たち皆が現状や将来に悩みに悩みまくっている話を聞くと、「なんて生きづらい世の中なことよ!」と思ってしまう。特に、社会の構造上「あれとこれをしたい」となった時にどちらかを諦める選択をしなければならないケースが多いように思う。家庭生活と仕事、趣味と仕事、何に関してもそうであるが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」が美徳のようになってしまっている感じがする。やりたいことを全部やり切りたい人にもっと協力的な風潮があってもいいんじゃないかと思う。
 でも、下を向いてばかりだった私とは違い、前を向けるようになった今の私は現状に嘆くばかりではない。「皆が色々ともがいているのだから私ももっともがいてみよう」と思えるようになった。皆がこうしているのだから私もこうしないと、という強迫観念的な考え方は人に無理を強いるものにもなりうるので危険でもあるのだけれど、「あーしんどいな」って感じたときに別の場所で同じようにしんどさと戦っている仲間がいると思えるのは何となく心強い。

 食事を終え解散した後、私のスマホで自撮りした5人の写真をグループLINEに上げた。写真の中の若者たちは、誰もが高校生の頃と変わらない笑顔を浮かべていた。
 あの頃音楽室に響き渡ったハーモニーは、きっと今でも私たちの胸の中で共鳴し続けている。