おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

幻のタピオカを求めて

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この世で生活していると、「ノッていないとき」というのがある。

楽あれば苦あり。私は基本的に毎日楽しく暮らしているが、365日エブリデイハッピー!というわけには当然いかない。「あーもうダメだー」って日だってあるのだ。人間だもの。

 

つい最近の数日間がまさにそれだった。

仕事では、正直自分の知識や力量ではどうにもならない案件が発生。上司や先輩に助けを求めるも、社会人というのはそう甘くなく、ヒントをもらうところまでしかたどり着けない。締め切りと相手方とのやり取りに追われ、なんとか自分にできる範囲のことをやったものの本当にこれで正しく対処できているか分からず、後々大問題が発生するのではないかと怯える日々。

またここ数日間、なぜだかずっと疲れが取れず、眠気や倦怠感をやり過ごしながら働いて、仕事が終わって家に帰ってもすでに気力がないので最低限のことだけ済ませて布団に入る、の繰り返し。

まだ二十数年しか生きてはいないが、どうやら人間として生きていると、こういう何もかもうまくいかない時期が定期的に訪れるらしい。

 

こんなグダグダでグズグズな時期でも、毎日電車に揺られて職場に向かう。

向かうはいいが、身体的にも精神的にも「バリバリ働くぜ!」という感じではないので集中力もそんなには続かない。そうすると、色々なことを考え始める。

もう働き始めて2年目なのに、去年の今頃から私は何も成長していないんではないか、とか、一緒に入社した同期の中で私は一番劣っているのではないか、とか、私はこのまま社会でやっていけるんだろうか、とか、そういったことが延々と頭の中を回り始める。

ぐるぐる、ぐるぐる。曇った思索は続く。

しかし、この終わりのないネガティブ思考のメリーゴーランドが後に何も生まないことは、これまでの二十数年の人生経験から分かっているので、なんとか頭の中で停止ボタンを押す。

 

よくない。これはよくないぞ。

何か楽しいことを考えよう。

私は、その日の仕事が終わった後にすることを考えることにした。ノッてない自分のご機嫌を取るための方法を考える。なお、この間勤務中である。仕方ない。自分のコンディションを良い方向に持っていくのも社会人の務めだ。

 

しかしまあ、アフター5の上手い過ごし方が浮かばない。

人と話すにも、その日いきなり呼び出せるような関係の友人は私には残念ながらいないし、恋人を呼び出すのも何となく気分が乗らない。一人で飲みに行く勇気もない。ジムで汗を流すにも、運動するための体力は今はない。一人カラオケに行くことも考えたが、喉風邪が治ったばかりで熱唱する元気もない。

これだけ考えても何もしたいことが思いつかない。仕方ない、今日も早く帰ってさっさと寝るか…。そう思ったところに突如ある考えが浮かび上がった。

 

「そうだ。タピオカドリンクを飲もう」

 

なぜここに思い至ったのか、正直よくわからない。タピオカドリンクは確かに好きだけど、最近流行ってるし、なんか楽しそうだから休みの日にちょっと並んで飲んでみるという程度だ。

それでも急にこの考えに思い至ってから、私の脳内はタピオカドリンクで満たされた。

甘いミルクティーの中で氷と共に沈む、黒く輝く宝石…。

こんな表現は大げさだが、この時の荒んだ私にとって、タピオカドリンクは逃避への扉。この世の美と快楽を詰め込んだものと言っても過言ではなかった。いや、さすがに過言か。

 

そんなこんなでタピオカへの憧憬を胸になんとか仕事に取り組み、ついに定時にたどり着いた。終業ミーティングを終えて、弾かれたように自席から立ち上がり職場を後にする。

歩いて繁華街へ向かう。普段なら面倒で退屈でしかない徒歩での移動時間も、「タピオカ」という目標があるだけでいきいきとしたひと時となる。ベースのドリンクは素直にミルクティーにするか、それとも変化球でストレートティーやジュースにするか。心なしか、歩いている間もいつもより信号に引っ掛かりづらい気がする。運が向いてきたんじゃないか、私?

 

歩くこと15分、私は念願のタピオカドリンク店に到着した。

店の前で、私は呆然と立ち尽くした。そこにあったのは長い行列だった。

 

昨今のタピオカブームを私は舐めていた。舐め腐っていた。

最近のタピオカの流行りようはすごい。土日なんか、店によっては3時間待ちという表示が出ていたりする。そもそも言うなればただの飲食店が「ただいま〇時間待ち」という表示の看板やカードを準備していること自体、タピオカブームがいかに白熱しているかを物語っているのだ。

私の考えは甘かった。流行っていいるとはいえ、平日の夜であれば並ぶことはないだろうと思っていた。

が、そこにあるのは推定4、50人の行列。土日に他の誰かと遊びに来てこれに並ぶというのなら、余裕な長さだろう。しかし、日々の仕事に疲れ切った、しかも一人でここにきて話し相手もいない私には、この行列に並ぶ元気があるはずなかった。

私はとぼとぼと店の前から離れた。

 

その後、簡単に諦めてたまるかと近辺にある別の2店舗も回ったが、その努力は無駄に終わった。

他店舗も状況は始めに訪ねた店と同じ。大人数の行列ができていた。

涙をのんで、私は帰路につくことにした。

最後の抵抗に、大好きな本でも買って帰ろうと書店に寄った。雑誌コーナーの『ダ・ヴィンチ』の表紙に並ぶたくさんの作家の名前の中に、好きな作家がいた。

まるで、仕事に疲れたあげくタピオカへの憧憬さえ打ち砕かれた私を慰めるように、私の愛する作家はそこに佇んでいた。ああ、本の世界はいつだって私を受け止めてくれる。私の生活がいかに本に支えられているかを実感した瞬間だった。

 

先日妹に「部屋の中で雑誌がかさばって邪魔だ」と叱られてから、極力雑誌は買わないようにしようと決めていたが、こればっかりはしょうがない。本は私の生きる糧なのだ。

 

帰宅途中にコンビニに寄って、腹いせの様にパスタとスナック菓子とから揚げ棒を買った。

家に着いたらハイボールを作り、ドラマを見ながら食べて飲む。

何となく選んだアラビアータはあまり美味しくなかった。

酸っぱいんだか辛いんだか分からないその味は、まるでこの社会で生きる世知辛さを映しているようで、コンビニパスタにそんな壮大なイメージを抱いた自分がなんだかおかしかった。

 

さあ、明日も頑張ってみるか。