おさかな天国

今はただ、前へ泳ごう。

将来のこと、やりたいこと

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今日の午前中に妹と月曜から夜ふかしの録画を見てたんですよ。そしたら「お年寄りのマイブームを聞いてみた」みたいな企画をやってたんですね。おじいちゃんおばあちゃんが歌を歌ったり、競馬に勤しんだり色々な趣味を楽しんでいるわけです。

それを見ながら、妹が私にこう聞いたんです。「カヲルは老後何したい?」って。

とりあえずその場では、「うーん、旅行に行きたいな。あと若いうちにピアノを始めてそれを続けたい」って答えたんです。でも、よくよく考えてみると老後の設計なんて全くしてないな、ってことに気がつきまして。

そりゃあ当たり前なんですよ。だって5年後に自分が何をしているかさえ分からないんだもの。そんな近い将来のビジョンさえ私にはないのに、老後にやりたいことなんて全く考えたことがなかった。

 

だから、老後のことを考える前に、これから私がどうやって生きていきたいのか考えなきゃいけないな、と思ったんです。

これから私がやりたいこと、それを考える上で一番メインの問題になってくるのが、仕事のことだと思うんです。大学を卒業してから、生活の一番大きな部分を占めるのは働くことだと思うので。

私は今大学4年生でもう就職先が決まっており、卒業後の進路が一つの道に定まっています。大学2年生の頃からその職場で働きたいと思っていて、幸運にもそこへ就職するという目標を叶えることが出来たにも関わらず、今になってから「もしかして私が本当にやりたいことはこれじゃなかったんじゃないか?」って思ってしまうんです。この間の高校時代の友人と飲みに行ったときのブログでも同じようなことを書いたんですが、これは無いものねだりのようなものなんですかね?片思いの相手と付き合う前のやり取りはすごく楽しいのに、いざ両思いになって相手が自分のものになってしまうとそれまでの情熱がなくなって魅力を感じなくなってしまうような、そんな感情に近い贅沢な悩みなのかもしれない。だから、いざその職場で働き始めればそんな悩みなんて忘れて目の前にある仕事に必死になれるかもしれないとも思う。でも、もし本当にこの道が自分のやりたいこととは違う道だったとしたら、それが定年までの間ずっと、自分の生活の中心に君臨することになる。そんな歯痒い生活に耐えられるのか?そう思うと、なんだか落ち着かないんですよね。ここ最近。

 

 

osaten.hatenablog.com

 

 

それから、結婚後の問題についても色々考えるんです。今の恋人とは数年後の結婚を約束しています。彼の方が後に社会人になるので、彼がどこでどんな仕事に就くのかも当然まだ分かりません。就職先の都合上、私は今住んでいる土地を大きく離れるようなことがあれば、この春から務めるであろう職場を辞めなければいけません。結婚の予定がおそらくこれから3,4年後。ということは、結構な確率で私は務め始めて5年もしないうちにその仕事を辞めることになる。そのことに気がついたのが、半年ほど前です。

最近までは、働き始めてすぐ辞めなきゃいけないなんてちょっと悔しいなあ、なんて思ってたんです。それが自分がやりたくて手に入れた仕事だと思ってたから。

でも、今はちょっと考えが変わってきまして。結婚して引越しをすることになれば、私はこの春からの職場をやめるでしょう。そして、新しい土地で新しい仕事を探すことになる。もしその時に、私が本当にやりたいことは何かを私が見つけられていたとしたら、そこから新しいスタートを切ることが出来るんじゃないかと思うんです。プライベートのことを忘れてバリバリ働きたい女性にとって、「妻」や「母」という立場はその人の行動を縛る足枷になってしまうと思います。でも、別の視点で見れば、新しく何かを始めたいと思う女性にとって、それらの肩書きは強い見方にもなりうると思うんです。パートナーの稼ぎがある程度しっかりしていて、その収入でなんとか家族が生活をしていけるくらいの余裕があるとしましょう。そしたら、妻が新しい仕事を始めたいと思った時に、それが多少お金の稼げる見込みの薄いものである場合や、失敗する可能性が高いものである場合に、それでも夢に向かって行動することが許されやすいんじゃないでしょうか。もちろんパートナーの同意を得るのが簡単ではない場合も多いと思うし、家事や、子どもがいるのであれば子育てとの両立も生半可な気持ちではできないと思いますが。それでも、既婚者という肩書きは、若くなくなってから夢を持つようになった女性にとって、一定の担保となりうるようにも思うんです。

 

ここで私自身の話に戻るんですが、最近、「自分のやりたいことはもしかしたらこれかもしれない」と思うようになったことがありまして。それが、文章を書くことです。何らかの形で文章と関わりながら生きていけたら楽しいだろうなって最近思うんです。

ブログを書き始めたことは、もちろん理由の一つとしてあります。すっかり忘れていたんですが、このブログも早くも開設から1ヶ月を迎えました。ブログを継続的に書くことで自分に自信をつけたい、というのがブログを始めた目的というかきっかけだったんですが、今ではその動機もほとんど忘れかけていて、純粋に文章を書くのを楽しむことが出来ています。自分の思ったこと、考えたことを文字にして表現することで自分がこんなことを考えていたんだ、というのも分かるようになるし、それがブログとして形になることである種の達成感も得られています。それに、私が思いのままを書き綴ったブログを読んでくださる方がいらっしゃって、しかも読者になってくださったり、星をつけてくださったり。自分の話をこういう形で誰かに聞いてもらえるということが、こんなに嬉しいことなんだなって実感しています。本当に読んでくださってありがとうございます。

それに、もともと文章というものが好きなのもあります。本を読むのが好きで、子どもの頃から小説をよく読んでいました。最近、というか大学生になってからでしょうか、色々な人のブログ、エッセイやインタビュー、学術論文なんかも読むようになって色々な文章に触れて、「文章というものは本当に面白い!」と思うようになりました。だって、誰もが同じ文字と同じ言語を前提条件として与えられているのに、できあがる文章は内容はもちろん、そこににじみ出る個性も全く違うんです。これって本当に不思議なことだな、と思って。言ってしまえば文字の羅列なんですよ、文章なんて。でも、時にその羅列が人を爆笑させたり、涙を落とさせたり、その人の宝物になったりする。文章というものには無限のロマンが秘められていると私は思うのです。

だから、私は文章を書くのも読むのも大好きです。そんな大好きなものと、仕事を通して関わっていけたらなんて素敵だろう。

これまでは、どこか諦めていたところがあったんです。小説家になるにも、ライターになるにも、生まれつきの才能と運がないといけないんだろうって。そう言いながら、何だかんだ努力することを避けていたんだろうな、と思います。でも、これから挑戦できるチャンスが私には残されているのかもしれない。

文章と関わりながら生きてい期待ということについては、恋人にはまだ言っていません。ブログをやっていることも秘密にしているのでね。それに、そのことについてはまだ「これが私の夢だ」と言える程度には自信を持てていません。でも、自信を持って「私は文章が好き!」と言えるようになったら、彼にも伝えたいな。

 

月曜から夜ふかしからこんな話に発展してしまった。書いてるうちにどんどん書きたいことを思いつくのもまた、文章というものの面白いところですね。

 

それではまたね。